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全国レベルの馬術競技選手から整骨院院長へ。唯一無二の施術を生んだ"人体実験"とは⁉︎ by 後藤哲也さん


「withuma.」vol.52 後藤哲也さん


Profile

お名前:後藤哲也さん

年齢:46歳

居住地:埼玉県越谷市

Twitter:@tadunaseikotsu1

 

第52回は、障害馬術の選手と乗馬インストラクターを経て、現在は整骨院を経営されている後藤哲也さんです!

いったいどのような「withuma.」を送っていらっしゃるのでしょうか?

 


後藤哲也さんの「withuma.」


写真:本人提供


埼玉県越谷市で「たづな整骨院」を経営しています。


元々馬術競技者から乗馬インストラクターをやっていた経験を活かし「馬術トレーニングコース」というサービスを提供しています。 治療はもちろんのこと、「この筋肉が乗馬には必要だよね」などといった自身の経験から、馬術がうまくなるためのトレーニング指導もマンツーマンで行っており、ジョッキーや馬術競技者、乗馬愛好家の方などにもお越しいただいています。


写真:本人提供


野球やサッカーなどのメジャーなスポーツとは違い、乗馬はマイナースポーツの部類に入りますので、皆さん他の整骨院さんに行かれても、「多分こうであろう」という想像の中でしかアドバイスをいただけないそうです。

私の場合は培ってきた実経験がありますので、「こういう馬にはこういう動きをすればいいよね」という、馬のタイプによっての筋肉の使い分け、御し方などを具体的にお伝えすることができます。


患者さまからご相談をいただくなかで、他の整骨院だと「あ、そうなんですか?」と返されるところを、「あ、そうですよね」「馬はこういう動きしますもんね」と私が返してくれるのが、皆さん嬉しいと仰ってくださっています。

馬に特化したコースのある整骨院は他でも聞いたことがありませんので、そこが大きな特徴です。


写真:本人提供


高校生の頃に競馬の関係者になりたいと思っていたのですが、調教師などになるのは壁が高いと分かっていましたので、馬術留学や牧場で働きたいという目標を持つようになりました。

全く馬とは関係のない家に生まれ、技術も知識もなかったですから、ある程度技術を身に付けておく方が、門は開きやすいと考えました。


そこで、まずは近隣の乗馬クラブへ体験乗馬に行ってみました。

高校生の頃から、自転車で身体の使い方をシミュレーションして練習をしていたので、実際に乗ってみて通用するのかを試したのですが、想像していた動きとは全く違いました。

競馬ではダク、乗馬では軽速歩といいますが、その動きが全くできなかったんです。


初めそこでは体験乗馬だけする予定だったのですが、あまりにも悔しくて入会してしまいました。

入会後乗馬を続ける中で、ある先生に目を付けていただき、大会への出場をご提案いただきました。

だんだんとやっているうちに大会への出場も重なり、外の選手と関わる機会も増え、勝ったり負けたりをしている中で楽しくなってきて、3年後にはその乗馬クラブへ入社をするまでになりました。

ただ社員としてインストラクターを続けていく中で、自分のスタイルと会社の方針のギャップに悩むことが増え、馬を楽しめなくなってしまい、ついには馬から離れることになりました。


少し時間が空いて、いただいたお誘いからとある乗馬クラブへ訪れる機会がありました。

久々の乗馬を楽しんでいると、そこの社長さんから声をかけていただき、流れるようにその乗馬クラブで働くことになりました。

その社長さんは「競技に出てなんぼでしょ」という考えの方でしたので、僕も積極的に競技へ出させていただいていたのですが、どうしても障害の高さが110cm以上のいわゆる全国大会のレベルになってくると上手くいかなくて、苦戦していたんです。


しかし忘れもしない2003年2月、当時一緒に働いていた、現在、南軽井沢ライディング俱楽部の代表を務めておられる小泉要一朗さんからご指導をいただく機会がありました。

「後藤君、騙されたと思ってこの乗り方で一ヶ月乗り続けてみなさい」と変則的な軽速歩の乗り方を教えていただき、朝から晩まで毎日休むことなく、自分のトレーニングとして一か月間その乗り方で練習をしました。


3月に入り、「後藤君、そろそろ乗り方に戻してみて」と言われ、実際に乗ってみると、乗り方が変わったんです。

軸がつくれて、上手い人が乗ってる時ってこんな感じだよねという感動があったんですよね。

映画『ベスト・キッド』で、カンフーとは全く関係ないトレーニングをひたすら行っていたような感じで、基礎を鍛え続けた結果、応用が利くようになりました。


写真:本人提供


ちょうどその頃、クレアペガサスというアラブ種の馬がクラブにやってきました。

その馬はちょっと癖がある馬で、預託馬だったんですがオーナーが九州にいらっしゃって、怖いから誰も乗りたくないと言う事で厩舎に入れっぱなしだったんですよね。

それで私が乗ってみる事になったのですが、何か月も厩舎に入っていたので動きも硬くて。

ただ、ハードルを設置して馬を向けた瞬間、すごく離れたところからぶっ飛んじゃって、物凄いパワーで引っ張られてしまい、

「この子すごい素質あるんじゃないのか」となって、そこから馬のリハビリを始めました。

しばらく練習を続け、ある程度形になってきたので、5月にある馬事公苑の大会に出場をしたのですが、そこでも良い感じに回ってこれたので、次は6月にあるつま恋の大会に出ることにしました。


大会当日、先に厩舎の準備をするために一足先につま恋へと向かっていたのですが、後発の馬運車から「馬運車が横転しました」と電話がありました。

すぐに引き返して事故現場に行くと、やはり馬運車が横転していて、「これはクレアペガサスは死んでしまったのでは…」と思う様な惨状でした。

ただ、結果的には放馬していたようで、クレアペガサスはサービスエリアに居て、安堵から大号泣してしまいました。

命が助かったとはいえ怪我をしており、膝もパックリと割れてしまっていて、流血もかなりしていましたので、当然ながらつま恋の大会には向かわず、近くのアイリッシュアラン乗馬学校の方に助けていただき、なんとか無事に帰ることが出来ました。


写真:本人提供


その後治療をして回復も早く、7月の末くらいには大会にも出せる状態でしたので、那須トレーニングファームで行われる、110cmの大会に出場することになりました。

そしたらそこで2位に入賞しまして、これいいじゃないという事で、次は夏を休ませて9月にあるつま恋乗馬クラブの大きな大会の130cmに出すことになって、そしたらそこで優勝しちゃったんです。

そこで全国大会に向けたポイントを大きく加算したことで、12月の頭にある全日本の登録馬の55頭中55番目に滑り込みました。

「これはやったぞ」と喜んでいたんですが、10月くらいから体調を崩してしまって、飼い食いも悪くてどんどん瘦せてしまって、11月29日に腹膜炎で亡くなってしまいました。

勿論もう出せる状態ではなかったので諦めていたんですが、全日本まであと一週間、二週間のところでした。


先述の小泉さんの教えもあり、クレアペガサスのような癖のある馬を御すことができて、飛べなかった130cmの障害もクリアすることができました。

色んな意味で2003年の一連の出来事は、私にとって大きな経験となりました。


2004年に馬術選手を引退し、昔から部活動などで整骨院に通うことが多かったこともあり、働きながら専門学校に通って柔道整復師免許を取得。

別の整骨院で修業をさせてもらいながら、2012年に「たづな整骨院」をオープンしました。


写真:本人提供


現在は、2003年当時の自分が馬術で使っていた筋肉を医学的に分析し、その根拠に基づいた自身の経験からなる筋力トレーニングを行い、馬術競技を再開させています。

そのある種”人体実験”とも呼べる私のトレーニングが、「馬術トレーニングコース」の根幹でもあります。

 

馬術競技選手、乗馬インストラクター、柔道整復師の3方向の視点から施術されているのですね。

私も週1回は整骨院に通っておりますが、馬術に特化したコースを持つ整骨院は初めて知りましたし、担当の先生にこのお話をしても「僕も初めて聞きました」と仰っていました。

ホースマンの悩みの種をスッキリ解決してくれる、まさに”救世主”ですね。


また、クレアペガサスの存在が後藤さんにとっていかに大きいものであったか、非常に伝わってまいりました。 130cmのハードルは、クラスでいうところの中障害Bにあたると認識しており、大きな大会の競技種目でも度々目にする高さですよね。

それを3回目の出場で優勝してしまうんですから、いかに競技馬としての素質があり、後藤さんとの息もぴったり合っていた最強コンビであったのかが、よく理解できました。


亡くなってしまったことは非常に残念ですが、今でもその経験が活かせているとのことで、クレアペガサスも空から安心して後藤さんを見ているのではないかと想像させられました。

 

後藤哲也さんの「Loveuma.」


私が感じる馬の魅力ですが、「乗っていて楽しい」ことです。

学生の頃に陸上と野球をやっていたんですが、どちらも補欠だったんですよね。

でも馬術は、馬が頑張ってくれるじゃないですか。

陸上や野球では全国大会には到底行けなかったけど、馬に乗ったら全国大会の目の前まで行けました。

馬と一緒になって頑張ったことによって、僕だけでは見えなかったいろんな世界を見せてくれるという部分が魅力だと感じます。


写真:本人提供


お気に入りの馬は、まず乗馬馬だと当然クレアペガサスです。

彼と出会ったことで、整骨院でも患者さんにフィードバックができたり、治療が出来たり。 彼との出会いが無かったら、今の僕はないと感じます。


競馬馬だとマヤノトップガンです。

金ピカの馬体と、乗っていた田原成貴ジョッキーがすごく好きです。

4歳時の有馬記念を観に行っていたんですが、その時は逃げて勝って、本当に芸術的な乗り方でした。

たづな整骨院の玄関にジョッキー人形が置いてあるんですが、それがその時の有馬記念でオレンジ帽子を被った田原ジョッキ―になります。


写真:本人提供

 

馬を通して新たな景色を見ることが出来たというお話、とても貴重なご経験だと感じました。


後藤さんの場合は馬術で体験された訳ですが、競馬業界でも同じことが言えると思います。

馬主、調教師、騎手などの競馬関係者は、それぞれの所有馬、管理馬、騎乗馬などを通して、「馬と一緒になって頑張ったことで見えた新しい景色」を体感しておられると思います。


個人的な意見になりますが、後藤さんが高校生の頃に抱いておられた「競馬の関係者になりたい」という夢は、職業などの形として叶っていなくとも、馬術の世界で「馬と一緒になって頑張ったことで見えた新しい景色」を体感しておられるわけですから、一つの要素として、夢を実現されたと言えるのではないかと思いました。


クレアペガサスとマヤノトップガン、どちらも栗毛の馬なのですね。

後藤さんの人生を変えた2頭、何か通ずる部分があったのかもしれませんね。

 

引退馬問題について


写真:本人提供