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引退後に気が付いた、ナカヤマフェスタの本質🐴👨🏻‍🦲🪷

  • 7 時間前
  • 読了時間: 3分


かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


ナカヤマフェスタとの再会


さて。

モニター体験はまだまだ続いたのだが、そろそろナカヤマフェスタの話に移りたい。

一昨年、引退後じつに13年ぶりに会った時に、フェスタの本質が「穏やか」であることを知った。


現役時代は本当に、頑なに、どうしようもないまでに、困った馬であった。

彼は競走馬の存在意義に直結する「調教」が何より大嫌いだったから。


その理由が「穏やか」に対するフェスタの「こだわり」だ、と気が付いたのだ。

調教や競走は彼にとって「穏やかさ」とは対極にある指図であり、受け入れ難かったに違いない。

「穏やか」にこだわる、かたくなな姿勢が「ブチ暴れる」という、対極の態度となって表れた稀有な馬といえよう。



現役時代はワガママな野郎だと私はプンスカしていたが、フェスタとしてはただ穏やかに過ごしたかっただけなのだ。

縁側でのんびりとお茶していたい、走りたくないウサイン・ボルト。

実際に調教以外は、さほど手を煩わせるタイプではなかった。


しかし現役競馬人としては、そんなフェスタを許容するわけにはいかない。

だって競走馬だし、仕事してもらわないと成り立たないから。

お茶をシバいている場合ではないと、フェスタをシバいていたのが私だ。


フェスタの本質に気が付き、申し訳ない気分になった一昨年の経験は、未だ鮮明に残っている。


ただ今回は、前回と違った。

ちょっとシンミリとした気分になってしまったのだ。

一目見て「ああ年を取ったなあ」と思ったからだろう。


2年前とさほど変化があるわけではないだろうに。

雰囲気だろうか。

現役時代、無理をさせてしまった反動が出ているのではないか、とどうしても感じてしまう。

そうであれば、心から申し訳ない。

20歳にしては随分、哀愁が漂っていた。

夕方の駄菓子屋のような、静かで、穏やかで、ちょっと寂しい感じ。


堪らなく「今」が愛おしい。

午前の外乗中にスタッフさんが「フェスタ長生きして欲しいなー」とボソッと言ったひと言が、重力を帯びて胸に甦った。


モニター体験では乗用馬の手入れ体験もあった。

同じ時間にフェスタも洗い場に繋がれていたので、(許可を得て)シレッと傍へ寄ってみる。


するとフェスタが甘えてくれた。


自分でビックリするほど、幸せホルモンが溢れ出る。

「もっと撫でてよ」とばかりに、鼻先を押し付け催促してくるフェスタが、たまらなく可愛い。


過去の不協和音が満ち満ちていた関係がウソだったかのように、多くのモニターさんの前でイチャイチャしてしまった。

過去のわだかまりも、今の申し訳なさも、こうも簡単に鼻先だけで全て浄化してしまうとは。

お釈迦様の教えの真髄が、馬の鼻先には詰まっているのではないだろうかと、本気で思う。


ありがとう、と思いつつ口からは余計な一言が出てしまう。

「現役時代は、こんなに可愛くなかったですよ。」

照れ隠しです、はい。


すっかり穏やかなナカヤマフェスタ
すっかり穏やかなナカヤマフェスタ

つづく




文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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