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ナカヤマフェスタ、AERUのスタッフとの縁で気が付いたこと🐴👨🏻‍🦲🪷

  • 12 分前
  • 読了時間: 3分


かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


縁による変化


―・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-


こうあるべきだという期待や、この程度だろうという見限り。

これは我々が、ついやってしまう「分別」という。

偏ることのない「中道」で、物事をあるがままに見ていかなければならない。

ある方から「だとすれば、中道とは現状に対する諦めになるのではないか」との指摘を受けた。

そうではない。

今を受け入れて、あるがままに見て、否定することなく、期待することなく。

今と誠実に向き合うための中道だ。

そこに縁起がある。

森羅万象、全ては縁起である。

縁によって起きる。

運命などというものも無い。

常に縁によって変わり、そして縁によって育つのだ。


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アエルのバックヤード体験も「一般の人だから、この程度教えれば十分でしょ」とたかを括ることなく、誠実に向き合っているから、伝わるのだと痛感した。

競馬関係者ももっと積極的にこういった啓蒙活動に関わるべきなのではないだろうか。

もちろん強い競走馬を作り出すことが第一であり、そもそも現場が忙しすぎるのも知っている。

ただ今を持ってもなお、馬の業界、仕事、その入り口を知らない人が多すぎるのだ。

このバックヤード体験に参加した方々を見て、縁によって変わり、育つ何かがある。

そんな光景を目の当たりにした。


フェスタも年を重ねている。

彼自身は何ら変わることなく、おそらくちょっと早いペースの老いと向かい合っている。

あと何回会えるのであろうか。

こんなことを考えても、不思議と悲しい気分にはならない。

命の尊さや、なにより儚さを、おそらく一般の人よりはちょっとだけ知っているつもりだ。

肥育を含め、馬にはいろいろなステージがあり、全ての馬が「今」を受け入れ向き合っている。

私たちはそれぞれのステージにいる全ての馬に感謝をし、後悔の無いよう、誠実に向き合うことで、その恩に報いるしかない。

今回、その思いをより強くした。

これはフェスタやアエルのスタッフ、そして馬達から得られた、縁による変化だ。


この縁から、自分の中でなにがどう育つのか。

今後はフェスタに恥じることの無いような「今」を過ごしていきたい。

私も肝を据えて、何事も受け入れ向き合っていきたいものだ。


そういえば空は、いつの間にか晴れ間が見えてきた

やっぱり私は晴れ男なのだ、ブフフフ。

そんな「分別」を捨てきれないのもまた、自分である。


またね、とお別れの挨拶。左前肢が蹴り上げようとしているように見えますが気のせいです。
またね、とお別れの挨拶。左前肢が蹴り上げようとしているように見えますが気のせいです。

ブログ終了の挨拶


わざわざ東松山まで来てくださった平林さんにお声がけしていただき、それから一年強こちらでブログを書かせていただきました。締め切りのある生活というのは文筆家になったような気分を味わえ、すっかりと調子に乗ったものです。

ただそれにより私の自己顕示欲が肥大してしまい、文章が異常に長くなるという事態を招きました。


結果、1つの話題での連載で1か月あまり続いてしまう、ブログとしてはいささかタイムリーさを欠くものとなってしまいました。

さらにブログの閲覧数や、皆様からの感想を直接知るということがHPの仕様上難しく、悶々とする日々が続きました。


ここで一度初心に帰り、元のフィールドへ戻り、暴走する自己顕示欲を思うがままに解き放ちたいとのお願いを聞いていただいたのが、休載の理由となります。


欲とかモンモンとか、僧侶としてはどうなんだ?という批判はごもっともです。


誠に申し訳ございません。


それでもどこかで私のブログを見つけ読んで笑っていただければ幸いです。

ありがとうございました。


九拝 二朗




文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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