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ディープインパクトのレース視聴は1万回超え!競馬界の片隅で愛を叫ぶ、日本競馬の研究者 by 高橋一友さん


「withuma.」vol.65 高橋一友さん


Profile

お名前:高橋一友さん

年齢:41歳

居住地:埼玉県

X(旧:Twitter):@ok_ruler

 

第65回は、馬と競馬を題材に文化・メディア研究をされている高橋一友さんです!

いったいどのような「withuma.」を送っていらっしゃるのでしょうか?

 


高橋一友さんの「withuma.」


この度は、引退馬支援に取り組んでおられる本サイトに寄稿できることを、たいへん光栄に思います。


私と競馬の出会いは、おそらく考えられるシチュエーションの中で最も酷いものでした。

もし私が立派な生き方をしていたら競馬とは出会っていないと思います。

私が23歳のとき、1浪して4年も居た大学を中退しました。

また、その後入ったばかりの医療系の専門学校(診療放射線学科)を初日から休学しました。

つまり、宙ぶらりんの人生に何の目的や意義も見出せなかった時期に私は競馬と出会ったのです。

特に2005年は最悪な年でした。

この年は戦後60年の節目の年にあたり、あれだけ嫌いだった学問を再評価する年になりました。

夏に書店でミシェル・ピクマルの『人生を変える3分間の物語』(PHP研究所、2005)と小林よしのりの『戦争論』(幻冬舎、1998)に出会い、哲学や歴史、政治学、社会学に興味を持ちました。

また同年の菊花賞の前日に、5年振りにつけたラジオの中で、たまたまディープインパクト号(以下、ディープ)の存在を知りました。

ご存知の通り、ディープは「無敗の三冠馬」となりました。

産駒のコントレイルも後に「無敗の三冠馬」となったのですが、この馬の脚質は歴代の「名馬」の中でも極めて異質なものでした。

最後方からまるで飛ぶような走りをする。

当時の異名は「英雄」、「飛ぶような走り」、「日本近代競馬の結晶」、「日本競馬の至宝」などでした。

私は同馬の最後方からの末脚に惚れました。


ディープから学んだことは「頑張ること」です。

勝ち負けではありません。

とにかく「懸命に生きるということ」です。

人生の目的はすべて彼に教わりました。

とはいえ、私も現在の若者たちのように「ウマ娘」から競馬を知りたかったと思うようなときもあります(笑)

とにかく私は競馬と非常に悪い出会い方をした。

そのことだけは、はっきりと言えます。

さて、私の意味不明な肩書きの羅列を見て、大変不思議に思われた方も居ることでしょう。

そうです、私は変わった人間なのです。

例えば、ディープと出会ってから、これまで私は彼のレースを1万回以上観ました(笑)

「え!?嘘でしょ?」と思われる方もおられるかもしれませんが、私は間違いなく世界で一番ディープのレースを観た人間であると胸を張って言えます(笑)

特に「若駒ステークス」がお気に入りでした。

まだ観たことない方は是非観て下さい。

あれが「懸命に生きるということ」です。

私の研究テーマは、ディープの凱旋門賞翌日に決まりました。

当時、世界的に見てディープの凱旋門賞は問題のある出来事だったのです。

ではどこに問題があったのか?

失格になったこと?敗北したこと?彼専用のJRAによるテレビCMが作成されて競馬関係者の間で問題視されたこと?そういった事ではありません。

日本の追っかけ(競馬ファン)がヨーロッパ社会で批判されたのです。


具体的に当時の凱旋門賞では、以下の事が起こりました。

レーシングプログラムが10分で無くなる、記念馬券を買い占め圧倒的な1番人気-1.5倍、場内支持率72パーセント-に押し上げる、勝負服姿で場内を闊歩する、横断幕を掲げる、ゴール直前に奇声を発する、など。

この模様は日本国内でも放送され、深夜にも関わらずNHK総合による生中継の視聴率は平均約20パーセントにも達しました。(『優駿』2006年11月号)

詳しいことは参照元に譲ります(笑)


私は日本競馬とヨーロッパ圏の競馬の雰囲気の違いを知りました。

先の凱旋門賞で見られた光景は、日本では見慣れたものでした。

当時の日本のメディアでは、"ディープブーム"として大変好意的な見方をされていました。

NHKもそうです。

ディープの為に徹夜する人も居ましたし、開門ダッシュの映像(途中で誰か転ぶ)は日常茶飯事でした(笑)


また同時に、なぜ競馬のレースの中に道徳的な天皇による賞、「天皇賞」があるのかと疑問に思いました。

凱旋門賞(仏)やキングジョージ(英)と、天皇賞が持つレースの雰囲気はまったく異なります。

天皇とギャンブル。

ヨーロッパ競馬と日本競馬の違いの源泉とは一体何か。

キリスト教圏のヨーロッパの王と、儒教的な東アジアのミカド(帝)の競馬は思想的にまったく別物であると思いました。

そもそも王と帝(天皇)がなぜ同じことになっているのでしょうか?

私はこのような単純な理由から学問を志すことになりました。

決してロマンチックな感じがしません(笑)

でも、事実です。

競馬を知った最初の数年間は非常に楽しかったです。

名馬のDVDをかき集め、毎月『優駿』を買い、テレビ中継は欠かさずに観ました。

ディープのレースまで残り○日とか、カレンダーに印をつけましたし、ディープのDVDも毎日観ました。


毎日全レースを少なくとも10回以上は観る生活を1年半続け、まるで競馬が恋人でした。

競馬だけがあれば他に何もいらなかったのです。

現在もそれに近いかもしれません(笑)

では、学問の方はどうか。

競馬と同年に学問にハマりました。

とりあえず最初の目標は競馬関係の偉い先人(先生)に沢山お会いしたいという非常に浮ついたものでした(笑)

そうすれば、競馬をもっと楽しく観られるようになれると思ったからです。


また『戦争論』を読んだときは、漫画の中で大学の先生がたくさん出てきたので、なぜ私は今、東大や京大に居ないのかと自分に対して激しい憤りを覚えました。

というのも、現在は平和な時代であるからです。

これは今にして思えば、非常に甘い考え方でした。


靖国神社(本人提供)


ひとまず大学は靖国神社(かつてここは招魂社と呼ばれ、明治時代の代表的な競馬場だった)の隣にある法政大学法学部政治学科に編入しました。

靖国には戦争で若くして亡くなった祖母の兄も眠って居ます。

また、軍馬を慰霊する銅像もあります。

私にとっては、とても研究テーマに相応しい地でした。


大学に再入学した後は政治思想について真剣に学びました。

特に丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」『現代政治の思想と行動(増補版)』(未来社、1964)を読んで、現人神時代における日本競馬の構造に深く関心を持ちました。

天皇の道徳性と競馬の賭博(悪)イメージの両立は妙に引っかかります。

また、出征で亡くなった親族が居る一方で、当時競馬で遊んでいる人がたくさん居た。

これは理不尽ではないか、と(笑)

丸山の言うような抑圧されていた帝国臣民のイメージは嘘つきだと思いました。

ここから政治学の巨人、否、日本の社会科学の巨人に挑む長い旅が始まりました。

また、それは日本の近代競馬の展開と大衆競馬の発展、さらには現代競馬に至る道筋を辿る冒険ともなりました。

ここでようやくディープの凱旋門賞当日に起きた出来事と私の学問人生が繋がりました。

当時の天皇制にも柔軟な側面があったのではないか。

上からの圧力とか、下が支えたとか、学問的なことは言いません。

私の底辺にあるのは馬、競馬ファンだからです(笑)


全体が「近代」に振り回された、そういう時代があった。

私は戦後(の平和に安住するみっともない立場)から戦前を見つめてみましたが、その内容はあまり変わらないものでした。

実は、戦後も戦前と同じような天皇と政府、省庁、競馬関係者、賭博者(競馬ファン)が存在しています。

「かたさ」(絶対)が「やわらかく」(象徴)なっただけです。

きっと今私たちは「現代」に振り回されています(笑)


少し話が脱線しました。

幸運なことに法政大学の政治学科には偉大な先生が客員教授として招かれていました。

韓国人の金栄作(キム・ヨンジャク)先生です。

先生は元ハーバード大学の客員教授でもあったので、私はハーバード式の講義を学ぶことになりました。

マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」も後から知ることになりましたが、これと似ていました。

もっとも先生の場合は数百人も入れる大教室に2~4名程度(休むと2人)の受講生しか居ませんでしたが(笑)


大学4年生のとき、私はこの研究室でゼミ長となりました。

その経緯は大学の事務で、「このままゼミの登録だけでは退学になる。もうゼミ試験は前年に終わっている」と言われ、別の先生に断られた挙句、よくカリキュラムを見渡したら金先生もゼミを担当されていた。

そこでダメもとで靖国神社(馬の銅像横)から先生のところ(ボアソナードタワー)に泣きつきに行ったところ「君は座っているだけでいい」と告げられました。

それが合格のサインでした(笑)


ゼミでは、やや歳の離れた後輩たちと一緒に討論しました。

親日家の先生は東京大学で博士号を取得され、坂本義和先生や丸山眞男先生の門下でした。

ちなみに、私が丸山の研究を始めたのは、前年に先生の追っかけをしていたからです(笑)

研究テーマもファミレスで見て頂きました。

この大学では毎週、先生方との飲み会に参加しました。

友人との食事より先生方との討論(食事会)の方が多かった。

ひょっとしたら講義の出席よりも多かったかもしれないです(笑)

単位は170単位以上登録して少し怠けて150単位以上取りました(要卒は132単位)。

テストやレポートのみでAプラスを狙う楽しみがありました。

それが、この大学学部学科では許されていました。

今のことは知りません(笑)


馬券の方はダイワスカーレットのおかげで大分儲けさせて頂きました(笑)

(ミスパーフェクト、万歳!私は絶対ミスしませんから!)

東京ドーム横にある後楽園のWINSが私の庭でした。

当時は現地観戦もたくさんしました。

中山競馬場の船橋法典駅から続く地下通路の「名馬列伝」や「年度代表馬」のポスターの並びにはワクワクしました。

今の壁画(歴代皐月賞馬と有馬記念馬)も悪くはないのですが、ポスター1枚1枚がとてもカッコよく、しびれました!

最も感動したレースは、やはりディープの引退レースとなった有馬記念になります。

ニュービギニングが出走するホープフルステークスを最高の場所で観戦した後、一旦席を離れて戻れなくなったことが今でも忘れられず、心の底から後悔しています。

ですので、有馬記念はモニター越しに観ました。

中山競馬場のターフビジョンの裏にある中央の広場で。

実は翌日に法政大学の合格発表があったのですが、中山競馬場の中で聴いたワムの「ラストクリスマス」とディープの勝利。

また、その日の夜に地方(埼玉)のテレビ番組の中で私の姿が映った競馬中継がありました。

未だによく覚えています。

たしかに中央の広場に居ました(笑)

 

この度は、高橋さんと馬のコトについて、大変詳細にお書きいただき誠にありがとうございました。


ディープインパクトのレース映像を1万回以上もご覧になられたのですね。

「ディープがキッカケで競馬を見始めた」、「ディープが最も好きな競走馬だ」そのように仰る競馬ファンの方とはこれまで何度も出会ってまいりましたが、さすがに1万回以上もレースを観た方はであったことが無く、狂気とも言える、底知れぬ研究者としての"関心"を感じました。


また、「天皇」と「競馬」という着目点、私も初めて触れるテーマであり、学問的に日本競馬に触れる事に面白さを感じました。

以前「withuma.」にご登場いただいた、台湾競馬史について研究をされているホリ・カケルさんの回でも、近代日本戦史と競馬について触れる機会がありました。

日本統治下の諸地域(特に大陸方面)における競馬の発展は、軍馬育成のための馬匹改良としての背景を持っていたそうで、戦時において競馬が持つ意義については理解をすることが出来ました。


どのような時代背景の中で、現在に至るまで日本競馬が醸成されてきたのか。

引退馬問題を考える上でも、広い視野で競馬という巨大産業を見るためには、極めて重要な観点であると感じます。


高橋さんの論文は、下記リンクからお読みいただけます。

ご興味のある方は、是非ご一読ください。

 

橋本英之さんの「Loveuma.」

ルーラーシップがQE2世カップを勝利した翌年の、同レースのレーシングプログラム等(本人提供)


私が生涯最も愛した馬は、先述のディープではなく、ルーラーシップ号です。

この馬の名前(「統治地位」)は、私の研究テーマ(「天皇賞」)にもなっています。

実際のところ、私は一度競馬の研究をやめようと思ったときがありました。

2010年を最後に競馬から離れよう、と。

それを止めたのがディープの再来と呼ばれ、当時注目されていたルーラーシップ号の存在でした。


私は若駒ステークスでルーラーシップ号と初めて出会いました。

父キングカメハメハ、母エアグルーヴ。

母は天皇賞・秋を勝った名牝です。