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ディープインパクトのレース視聴は1万回超え!競馬界の片隅で愛を叫ぶ、日本競馬の研究者 by 高橋一友さん


「withuma.」vol.65 高橋一友さん


Profile

お名前:高橋一友さん

年齢:41歳

居住地:埼玉県

X(旧:Twitter):@ok_ruler

 

第65回は、馬と競馬を題材に文化・メディア研究をされている高橋一友さんです!

いったいどのような「withuma.」を送っていらっしゃるのでしょうか?

 


高橋一友さんの「withuma.」


この度は、引退馬支援に取り組んでおられる本サイトに寄稿できることを、たいへん光栄に思います。


私と競馬の出会いは、おそらく考えられるシチュエーションの中で最も酷いものでした。

もし私が立派な生き方をしていたら競馬とは出会っていないと思います。

私が23歳のとき、1浪して4年も居た大学を中退しました。

また、その後入ったばかりの医療系の専門学校(診療放射線学科)を初日から休学しました。

つまり、宙ぶらりんの人生に何の目的や意義も見出せなかった時期に私は競馬と出会ったのです。

特に2005年は最悪な年でした。

この年は戦後60年の節目の年にあたり、あれだけ嫌いだった学問を再評価する年になりました。

夏に書店でミシェル・ピクマルの『人生を変える3分間の物語』(PHP研究所、2005)と小林よしのりの『戦争論』(幻冬舎、1998)に出会い、哲学や歴史、政治学、社会学に興味を持ちました。

また同年の菊花賞の前日に、5年振りにつけたラジオの中で、たまたまディープインパクト号(以下、ディープ)の存在を知りました。

ご存知の通り、ディープは「無敗の三冠馬」となりました。

産駒のコントレイルも後に「無敗の三冠馬」となったのですが、この馬の脚質は歴代の「名馬」の中でも極めて異質なものでした。

最後方からまるで飛ぶような走りをする。

当時の異名は「英雄」、「飛ぶような走り」、「日本近代競馬の結晶」、「日本競馬の至宝」などでした。

私は同馬の最後方からの末脚に惚れました。


ディープから学んだことは「頑張ること」です。

勝ち負けではありません。

とにかく「懸命に生きるということ」です。

人生の目的はすべて彼に教わりました。

とはいえ、私も現在の若者たちのように「ウマ娘」から競馬を知りたかったと思うようなときもあります(笑)

とにかく私は競馬と非常に悪い出会い方をした。

そのことだけは、はっきりと言えます。

さて、私の意味不明な肩書きの羅列を見て、大変不思議に思われた方も居ることでしょう。

そうです、私は変わった人間なのです。

例えば、ディープと出会ってから、これまで私は彼のレースを1万回以上観ました(笑)

「え!?嘘でしょ?」と思われる方もおられるかもしれませんが、私は間違いなく世界で一番ディープのレースを観た人間であると胸を張って言えます(笑)

特に「若駒ステークス」がお気に入りでした。

まだ観たことない方は是非観て下さい。

あれが「懸命に生きるということ」です。

私の研究テーマは、ディープの凱旋門賞翌日に決まりました。

当時、世界的に見てディープの凱旋門賞は問題のある出来事だったのです。

ではどこに問題があったのか?

失格になったこと?敗北したこと?彼専用のJRAによるテレビCMが作成されて競馬関係者の間で問題視されたこと?そういった事ではありません。

日本の追っかけ(競馬ファン)がヨーロッパ社会で批判されたのです。


具体的に当時の凱旋門賞では、以下の事が起こりました。

レーシングプログラムが10分で無くなる、記念馬券を買い占め圧倒的な1番人気-1.5倍、場内支持率72パーセント-に押し上げる、勝負服姿で場内を闊歩する、横断幕を掲げる、ゴール直前に奇声を発する、など。

この模様は日本国内でも放送され、深夜にも関わらずNHK総合による生中継の視聴率は平均約20パーセントにも達しました。(『優駿』2006年11月号)

詳しいことは参照元に譲ります(笑)


私は日本競馬とヨーロッパ圏の競馬の雰囲気の違いを知りました。

先の凱旋門賞で見られた光景は、日本では見慣れたものでした。

当時の日本のメディアでは、"ディープブーム"として大変好意的な見方をされていました。

NHKもそうです。

ディープの為に徹夜する人も居ましたし、開門ダッシュの映像(途中で誰か転ぶ)は日常茶飯事でした(笑)


また同時に、なぜ競馬のレースの中に道徳的な天皇による賞、「天皇賞」があるのかと疑問に思いました。

凱旋門賞(仏)やキングジョージ(英)と、天皇賞が持つレースの雰囲気はまったく異なります。

天皇とギャンブル。

ヨーロッパ競馬と日本競馬の違いの源泉とは一体何か。

キリスト教圏のヨーロッパの王と、儒教的な東アジアのミカド(帝)の競馬は思想的にまったく別物であると思いました。

そもそも王と帝(天皇)がなぜ同じことになっているのでしょうか?

私はこのような単純な理由から学問を志すことになりました。

決してロマンチックな感じがしません(笑)

でも、事実です。

競馬を知った最初の数年間は非常に楽しかったです。

名馬のDVDをかき集め、毎月『優駿』を買い、テレビ中継は欠かさずに観ました。

ディープのレースまで残り○日とか、カレンダーに印をつけましたし、ディープのDVDも毎日観ました。


毎日全レースを少なくとも10回以上は観る生活を1年半続け、まるで競馬が恋人でした。

競馬だけがあれば他に何もいらなかったのです。

現在もそれに近いかもしれません(笑)

では、学問の方はどうか。

競馬と同年に学問にハマりました。

とりあえず最初の目標は競馬関係の偉い先人(先生)に沢山お会いしたいという非常に浮ついたものでした(笑)

そうすれば、競馬をもっと楽しく観られるようになれると思ったからです。


また『戦争論』を読んだときは、漫画の中で大学の先生がたくさん出てきたので、なぜ私は今、東大や京大に居ないのかと自分に対して激しい憤りを覚えました。

というのも、現在は平和な時代であるからです。

これは今にして思えば、非常に甘い考え方でした。


靖国神社(本人提供)


ひとまず大学は靖国神社(かつてここは招魂社と呼ばれ、明治時代の代表的な競馬場だった)の隣にある法政大学法学部政治学科に編入しました。

靖国には戦争で若くして亡くなった祖母の兄も眠って居ます。

また、軍馬を慰霊する銅像もあります。

私にとっては、とても研究テーマに相応しい地でした。


大学に再入学した後は政治思想について真剣に学びました。

特に丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」『現代政治の思想と行動(増補版)』(未来社、1964)を読んで、現人神時代における日本競馬の構造に深く関心を持ちました。

天皇の道徳性と競馬の賭博(悪)イメージの両立は妙に引っかかります。

また、出征で亡くなった親族が居る一方で、当時競馬で遊んでいる人がたくさん居た。

これは理不尽ではないか、と(笑)

丸山の言うような抑圧されていた帝国臣民のイメージは嘘つきだと思いました。

ここから政治学の巨人、否、日本の社会科学の巨人に挑む長い旅が始まりました。

また、それは日本の近代競馬の展開と大衆競馬の発展、さらには現代競馬に至る道筋を辿る冒険ともなりました。

ここでようやくディープの凱旋門賞当日に起きた出来事と私の学問人生が繋がりました。

当時の天皇制にも柔軟な側面があったのではないか。

上からの圧力とか、下が支えたとか、学問的なことは言いません。

私の底辺にあるのは馬、競馬ファンだからです(笑)


全体が「近代」に振り回された、そういう時代があった。

私は戦後(の平和に安住するみっともない立場)から戦前を見つめてみましたが、その内容はあまり変わらないものでした。

実は、戦後も戦前と同じような天皇と政府、省庁、競馬関係者、賭博者(競馬ファン)が存在しています。

「かたさ」(絶対)が「やわらかく」(象徴)なっただけです。

きっと今私たちは「現代」に振り回されています(笑)


少し話が脱線しました。

幸運なことに法政大学の政治学科には偉大な先生が客員教授として招かれていました。

韓国人の金栄作(キム・ヨンジャク)先生です。

先生は元ハーバード大学の客員教授でもあったので、私はハーバード式の講義を学ぶことになりました。

マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」も後から知ることになりましたが、これと似ていました。

もっとも先生の場合は数百人も入れる大教室に2~4名程度(休むと2人)の受講生しか居ませんでしたが(笑)


大学4年生のとき、私はこの研究室でゼミ長となりました。

その経緯は大学の事務で、「このままゼミの登録だけでは退学になる。もうゼミ試験は前年に終わっている」と言われ、別の先生に断られた挙句、よくカリキュラムを見渡したら金先生もゼミを担当されていた。

そこでダメもとで靖国神社(馬の銅像横)から先生のところ(ボアソナードタワー)に泣きつきに行ったところ「君は座っているだけでいい」と告げられました。

それが合格のサインでした(笑)


ゼミでは、やや歳の離れた後輩たちと一緒に討論しました。

親日家の先生は東京大学で博士号を取得され、坂本義和先生や丸山眞男先生の門下でした。

ちなみに、私が丸山の研究を始めたのは、前年に先生の追っかけをしていたからです(笑)

研究テーマもファミレスで見て頂きました。

この大学では毎週、先生方との飲み会に参加しました。

友人との食事より先生方との討論(食事会)の方が多かった。

ひょっとしたら講義の出席よりも多かったかもしれないです(笑)

単位は170単位以上登録して少し怠けて150単位以上取りました(要卒は132単位)。

テストやレポートのみでAプラスを狙う楽しみがありました。

それが、この大学学部学科では許されていました。

今のことは知りません(笑)


馬券の方はダイワスカーレットのおかげで大分儲けさせて頂きました(笑)

(ミスパーフェクト、万歳!私は絶対ミスしませんから!)

東京ドーム横にある後楽園のWINSが私の庭でした。

当時は現地観戦もたくさんしました。

中山競馬場の船橋法典駅から続く地下通路の「名馬列伝」や「年度代表馬」のポスターの並びにはワクワクしました。

今の壁画(歴代皐月賞馬と有馬記念馬)も悪くはないのですが、ポスター1枚1枚がとてもカッコよく、しびれました!

最も感動したレースは、やはりディープの引退レースとなった有馬記念になります。

ニュービギニングが出走するホープフルステークスを最高の場所で観戦した後、一旦席を離れて戻れなくなったことが今でも忘れられず、心の底から後悔しています。

ですので、有馬記念はモニター越しに観ました。

中山競馬場のターフビジョンの裏にある中央の広場で。

実は翌日に法政大学の合格発表があったのですが、中山競馬場の中で聴いたワムの「ラストクリスマス」とディープの勝利。

また、その日の夜に地方(埼玉)のテレビ番組の中で私の姿が映った競馬中継がありました。

未だによく覚えています。

たしかに中央の広場に居ました(笑)

 

この度は、高橋さんと馬のコトについて、大変詳細にお書きいただき誠にありがとうございました。


ディープインパクトのレース映像を1万回以上もご覧になられたのですね。

「ディープがキッカケで競馬を見始めた」、「ディープが最も好きな競走馬だ」そのように仰る競馬ファンの方とはこれまで何度も出会ってまいりましたが、さすがに1万回以上もレースを観た方はであったことが無く、狂気とも言える、底知れぬ研究者としての"関心"を感じました。


また、「天皇」と「競馬」という着目点、私も初めて触れるテーマであり、学問的に日本競馬に触れる事に面白さを感じました。

以前「withuma.」にご登場いただいた、台湾競馬史について研究をされているホリ・カケルさんの回でも、近代日本戦史と競馬について触れる機会がありました。

日本統治下の諸地域(特に大陸方面)における競馬の発展は、軍馬育成のための馬匹改良としての背景を持っていたそうで、戦時において競馬が持つ意義については理解をすることが出来ました。


どのような時代背景の中で、現在に至るまで日本競馬が醸成されてきたのか。

引退馬問題を考える上でも、広い視野で競馬という巨大産業を見るためには、極めて重要な観点であると感じます。


高橋さんの論文は、下記リンクからお読みいただけます。

ご興味のある方は、是非ご一読ください。

 

橋本英之さんの「Loveuma.」

ルーラーシップがQE2世カップを勝利した翌年の、同レースのレーシングプログラム等(本人提供)


私が生涯最も愛した馬は、先述のディープではなく、ルーラーシップ号です。

この馬の名前(「統治地位」)は、私の研究テーマ(「天皇賞」)にもなっています。

実際のところ、私は一度競馬の研究をやめようと思ったときがありました。

2010年を最後に競馬から離れよう、と。

それを止めたのがディープの再来と呼ばれ、当時注目されていたルーラーシップ号の存在でした。


私は若駒ステークスでルーラーシップ号と初めて出会いました。

父キングカメハメハ、母エアグルーヴ。

母は天皇賞・秋を勝った名牝です。

今では牝馬が天皇賞・秋を勝つことは決して珍しくなくなりましたが、2000年くらいまではとても困難な時代でした。

だからそこにも運命を感じました。

若駒ステークス当日、ルーラーシップ号は後に春の天皇賞馬になるヒルノダムール号に惜敗しました。

私がゴール掲示板前で待機する中、ルーラーシップ号は負けました。

しかし、とても美しい負け方をしたのです。

かつてディープから学んだことは「頑張ること」でした。

勝ち負けではありません。

とにかく「懸命に生きるということ」です。

今では、ルーラーシップ号は不器用な馬で、その潜在能力に比してあまり能力を発揮できずに「出遅れ癖のある馬だった」というイメージがあります(その点も私の人生と重なるチャームポイントであったのですが、笑)。

けれども、私から見たら「出遅れても頑張る」という馬なのです。

そのような不器用さは産駒にもきちんと受け継がれています(馬券的には困ったものですが、笑)。

特にキセキ号は父親によく似ていました(笑)


この馬との思い出はたくさんあります。

雨の中、ゴール掲示板前で観戦したアルメリア賞。

他馬に馬体をぶつけられたシーンでは場内で怒号が鳴り響きました(これが私にとって初の阪神競馬場でした)。

若駒ステークス後は京都中の寺社巡り(「願掛け」)をしました。

清水寺、晴明神社、貴船神社、平等院、金閣寺、銀閣寺、平安神宮、龍安寺、仁和寺、平野神社、三十三間堂、北野天満宮、本願寺、八坂神社、建仁寺、光明寺、相国寺、下鴨神社、吉田神社ほか。

大量の「勝守」を買い込み、現地観戦したのです。

どの「勝守」が効いたのか、いや効かなくても勝てたのか、今となっては分かりません(笑)

次走の毎日杯は引っ越しで忙しくて観られないし、皐月賞は難しそう。

そんな気持ちを抱きながら私は京都大学を去り、東京大学に研究拠点を移しました。


京都大学では小倉紀蔵先生の下で、東京大学では本村凌二先生の下で学びました。

本村先生は私の競馬(馬券予想、エッセイ)の先生でもありました。

先生には若駒ステークスのパドック写真や手紙(ディープインパクトの菊花賞デザイン)、2006年の有馬記念の記念入場券を送りました。

後に香港ジョッキークラブが制作したルーラーシップ号のDVD(非売品)もプレゼントすることになるのですが、この時点でのルーラーシップ号の将来はまるで不透明でした。


東京大学駒場キャンパスの14号館。

最上階の端に先生の研究室がありました。

とても見晴らしの良い場所です。

事実上、ここは競馬の研究室でもありました(笑)

ですから、机の上は馬券であふれていました。

そればかりか入口付近のソファーの上にも競馬雑誌の山が(笑)

カレンダーも『優駿』の付録。

私の部屋の構造とよく似ていました。

しかし、石原裕次郎のような先生のカッコよさと私のような凡人を比べてはいけません。

研究室では伝説の新馬戦、馬事文化賞(選考)、ローマ帝国(皇帝)の競馬、日本ダービーの予想話などをしました。

2010年の日本ダービーの予想。

研究室ではローズキングダム号推しだった先生は、

ネットで公開されていたスポーツ紙主催の座談会ではペルーサ号推しになっていました(笑)

今でも忘れません。

青葉賞のペルーサ号の走りは迷いを生むほど素晴らしかったからです(笑)

もちろん、それでも私はルーラーシップ号推しでした。


ルーラーシップ号が3歳になった年は私も東京で過ごしました。

先生は現場見学に皐月賞のVIP席に招待してくれました。

これは遊びではなく、研究調査です(笑)

九條今日子さん(故寺山修司先生の奥様だった)、浅田次郎先生、山野浩一先生、古井由吉先生、そして本村先生ほかと錚々たるメンバーと一緒に現地観戦しました。

九條さんは私の向かい側の席で桜の上に雪が降ったというお話をされました。

しかし、まもなく馬券が当たり、プラス収支になるとメインレースを前にして颯爽と帰られました(笑)

当たり馬券と共に去りぬ。

その姿はまるで女優の吉永小百合さんと重なりました。

私が人生で出会った人の中で最も美しい人でした。

一方、他の先生方とは最後まで一緒であったのですが、メインレースのとき私は悔しくて、あまりよく皐月賞を観戦できませんでした。

というのも、ルーラーシップ号がその場に居なかったからです。

毎日杯は5着という結果でした。

心で泣いていました。

同世代のザタイキのこともよく覚えています。

だから余計に、です。


私の東京競馬場における初観戦は意外にも遅く、ルーラーシップ号のプリンシパルステークス当日でした。

それなのに中山では、既にVIP席で観戦していました(馬事文化賞を取らないと入れないような席です)

ルーラーシップ号は見事に4馬身差で圧勝し、ダービー挑戦への切符を手にしました。

ところが、私が最も感動した場面はゴールシーンではなく、ゴール掲示板付近の階段の上で泣いている人を見かけたときでした。

そうなのです。

私と同じような気持ちで、いやそれ以上に、このレースを熱心に観ていた女性の追っかけ(ルーラーファン)が居たのです。

私はその姿を見てもらい泣きしました。

このようなエピソードがその後も続々と起こりました。

これは産駒の代まで続きます。

今も続いています。

その話はまた別の機会に話そうと思います。


京都大学の研究室(本人提供)


私は現在も競馬の研究と執筆を続けています。

おおよそ競馬関係でお会いしたいと思った方とはすべて会えました。

その夢は叶いました。

また、現人神時代における競馬の構造分析についてもある程度理解しました。

関心を持って深入りしてから約15年かかりました(笑)

2021年のことです。

競馬の研究は保守的であり、リベラルでもあった。

今も戦前の名残があります。

競馬法による「競馬=賭博=悪」という呪縛。

だから、矛盾しているようですが、道徳的な天皇の存在が必要なのです。

無印良品よりお墨付きの印があった方がいい(この「錦の旗」が競馬界の基本ベース笑)

ちなみに、1970年代には競馬存続論争や天皇賞廃止論争がありました。

詳しいことは楽曲「走れコウタロー(走れマキバオー、走れウマ娘)」や若野章の『天皇家と競馬』(恒文社、1975)に譲ります(笑)。

なお、「大日本帝国下における競馬」の論文は3人の先生(特に細見和之先生)の推薦を受けて、「石橋湛山新人賞」に応募されたのですが、あっさり落ちました。

他薦であったので非常に申し訳ないことをしました。

天皇とギャンブルはテーマとして扱うのが難しいのです。

もっと分かりやすく分析して、いつか恩返しをしたいです。

最終的に京都大学の博士後期課程で過ごしましたが、ハーバード大学の教育理念(哲学)、東京大学、京都大学、法政大学に感謝しています。

そのどれか一つでも欠けていたら今の私はなかったでしょう。


昨年はウマ娘の論文を書いて、それがネットに公開されたら少しバズりました(笑)

またこの論文とはあまり関係なく、2022年3月からSNS上でこっそりスペシャルウィーク(ウマ娘)のなりきりをやっています(笑)

これは競馬啓蒙活動の一環として始めました。

ゲームのリリース初日からブームに同化しないとあの論文は書けませんでした。

中身は普通のおじさんです、ごめんなさい(笑)

最後にお会いした方(接したことがある人)の中で特に印象に残っている方について触れたいと思います。

競馬ライター(ジャーナリスト)の河村清明先生は私が初めて交流させて頂いた競馬関係者です。

また、JRA競馬博物館における島田明宏先生との出会いは論文「大日本帝国下における競馬」を書くきっかけとなりました。

国会議員の河野太郎先生は私の政治学の先生として競馬界でもご活躍されています。

大阪大学の檜垣立哉先生のおかげでマカヒキ号が好きになりました。

先生は「競馬を哲学すること」の先駆者です。

杉本竜先生は私の研究上の先輩にあたると思います。

昨年、『近代日本の競馬:大衆娯楽への道』(創元社、2022)の書評(『図書新聞』)を書きました。

とても素晴らしい本なので、もっと売れて欲しいです(笑)

元朝日新聞の有吉正徳さんとは日本ウマ科学会でお会いし、その温かいお人柄に触れました。


角居勝彦先生は二刀流(調教師と引退馬支援)の関係者として、とても尊敬できる方です。

ルーラーシップ号が有馬記念で飛び上がり、先生はゲート裏で頭をかきながらうつむいた。

ちょうどそのとき私はゴール掲示板前でルーラーシップ号の「がんばれ馬券」を手にしながら同じタイミングで頭を下げた。

発走してからゴールするまで、ずっと下(地面)を向いていたというエピソードがあります(笑)

日本ウマ科学会の懇親会ではその話で盛り上がり、一緒に記念写真を撮りました。


角居先生との2ショット(本人提供)


この写真の中で先生が着ているジャンパーは、後に京都大学の大学院掛に届きました(笑)

なお、先生は私が追っかけをしていたルーラーシップ号とキセキ号の調教師でした。


近年はウマ娘が流行っていますが、おまけに漫画の宣伝をさせて下さい。

漫画『ウイニングチケット』(週刊ヤングマガジン)の最終回記念に私は馬券型名刺を作成しました(JRAに許可取得済)。


参考)「ご無沙汰しております。」『小松大幹のブログ』(2012年9月1日)


漫画『ウイニングチケット』(本人提供)


その後に漫画『たいようのマキバオー』(週刊プレイボーイ)の「フィールオーライ」の名刺も作成しました。

フィールのフォワ賞とミカヅキオーの有馬記念は必見です。

あれが「懸命に生きる(走る)ということ」です。

ちなみに、「ミカヅキプリンス」の名前の意味は漫画を読むと分かります(笑)


本当は研究についてもう少し詳しく話そうと思いましたが、思い出が多すぎて語り切れません。

また私は競馬観戦歴20年に満たない若輩者です(初観戦は2006年の皐月賞でした)。

フィクションの競馬を含めれば、もっと長いのですが・・・


中学生の頃に『みどりのマキバオー』が流行っていました。

その証拠として私の卒業文集の他己紹介では、「マキバオーをよく貸してくれた奴だった」になっています(笑)

おそらく潜在的に競馬が好きだったのでしょう。

競馬場の中には、偉大な先輩方がたくさん居ました。

中には50年以上も同じ場所で毎週欠かさずに競馬を観戦し続けているという方も・・・

競馬界の片隅で愛を叫ぶ。

学術がきっかけで競馬好きが一人でも増えてくれたら嬉しいです。

きっと競馬の世界は奥が深くて面白いです。

近代以降、日本競馬の成り立ちは日本社会の姿を反映してきました。

そのうちまた幾つかの競馬やウマ娘に関する原稿を書く予定です。

ウマ娘論文で書いた①ウマ娘では海外競馬の場面が少ないといった見解や、②アニメ第3期の主人公予想が見事に外れました(笑)

未来は本当に読めません。

AI予想がいくら進歩しても馬券はなかなか当たらないでしょう(笑)

馬は生き物だからです。


ルーラーシップ産駒よ、引退後も幸せに!

幕末から明治初期にかけて日本(在来)馬が「Japanese Native Pony」と言われた時代からすべての馬に感謝して・・・



ルーラーシップの記念馬券と記念グッズ(本人提供)

 

ルーラーシップ号との出会い、戦績と共に積み上げられてきた思い出の数々は、高橋さんの競馬史を知る上でも、切っても切れない特別な存在なのですね。

「出遅れ癖がある馬」という評価を、「出遅れても頑張る馬」と捉えておられる、その考え方がとても素敵だと感じました。

競走馬が持つ特性や、それ故に起こったドラマは、時に人を魅了してくれると感じます。

その背景、頑張る姿を自身に重ね合わせ、やる気スイッチを「ON」してくれるような、そういった経験をされている方が沢山いらっしゃることを、Withuma.という連載を担当して知ることができました。


東京大学での研究において、高橋さんの師であった本村凌二氏の著書『馬の世界史』(2001年 JRA馬事文化賞 受賞)は、競馬ファンの間でも有名な書籍ですよね。

私も高校時代に『馬の世界史』と出会い、通学中の電車で穴が開くほど読みました。

馬から歴史を見る、馬の持つ役割を改めて考える、引退馬支援について考える上でも、大きな知見を得ることが出来、今でも参考文献として活用させていただいております。

同氏の著書『競馬の世界史』と併せて、是非皆さまにもお読みいただきたいです。

 

引退馬問題について


日本の競馬は大衆競馬と言われています。

大衆が支えてきたのが日本の近代競馬です。

大衆(競馬ファン)の多くが引退馬支援を強く望むのであれば、主催者も熱心に協力する必要があります。

日本のNPOはアメリカのNPOと比べて、とても脆弱です。

私は公共政策研究科(社会人大学院)の市民社会ガバナンスコースでも競馬を学びました。

ここは日本のNPO研究の最前線でした。


産官学民の連携が声高に叫ばれる中、「官」と「学」の意味が非常に問われる時代となりました。

具体的に「官」とは農林水産省とJRAのことを指しています。

「学」は研究機関(研究所、大学など)を意味します。

競走馬は引退後の生活の方が長いです。

私は一頭でも多くの馬が長生きできるような環境(世界)があることを強く望みます。

あのルーラーシップの時に泣いていた競馬ファンは、どの馬にも居るのですから。

しかし、どの辺りまで保護するかは慎重に話し合う必要があるでしょう。


顕彰馬や年度代表馬、種牡馬となった馬の余生を民間やNPO法人に委ねている現状があります。

重賞馬については意見が分かれる部分です。

また、追っかけ(ファン)が多かった馬も同様でしょう。

馬主さんの方針もあります。

すべての馬を保護するという訳にはいけませんから。


「保護過剰」となると、それは大衆競馬の「負の側面」です。

このボーダーラインについては真剣に主催者と事業者団体で話し合いを続ける必要があるでしょう。

大衆競馬を作ったのはJRAでもあるので、お互いがお互いを尊重することが大事です。

問題の中身をきちんと精査し、本当に問題になっている点は少しずつ修正していく。

引退馬事業の「本質」は一般の競馬ファン(私を含める)も知りたいところです。

とはいえ、現状はあまりよろしくないのは確かであって、特に重賞馬以上の取り扱いが可哀想です。

少しずつ変わっていけたらいいですね。

 

引退馬という言葉が市民権を得てから現在に至るまで、少しずつ、しかし着実にその考えは広まりつつあると実感しています。

近年はJRAでも、「引退競走馬に関する検討委員会」が発足し、引退馬支援に係る活動を行っています。

大衆競馬である日本の競馬において、その大衆の声が無視できないレベルまで大きくなっていることは紛れもない事実であり、その結果「官」も動き出しているのかもしれません。


仰るように、どこまでを保護するかの"ボーダーライン"は、慎重に検討する必要があると感じます。

私たちのようなメディアの発信を通して、多くの人に引退馬問題について考える機会を持ってもらうことで、一歩でも最適解へと近づくために前進する、その一端を担えればと考えます。

 

 

今回は、馬と競馬を題材に文化・メディア研究をされている高橋一友さんの「withuma.」を伺いました!

毎週定期更新してまいりますので、次回もよろしくお願いいたします!


 

「withuma.」では、馬にまつわる活動や、その思いについて発信していただける方を募集しております。


リモート取材は一切なく、専用フォームからアンケートにお答えいただくと、その内容が記事になります。


今後も「withuma.」を通して、引退馬問題前進の一助となれるよう、微力ながら馬事産業・文化に携わる人を発信していきますので、是非皆さまからのご応募をお待ちしております!


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協力:高橋一友さん 取材・文:片川 晴喜 編集:平林 健一 著作:Creem Pan

 


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