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「責任と義務」JRA調教師・鈴木伸尋 1/3


今回はJRA調教師で 引退競走馬に関する検討委員会の鈴木伸尋さん


 JRAが「引退競走馬に関する検討委員会」を発足させて引退馬支援に乗り出したのが平成29年12月。その前身組織である準備委員会が平成29年2月に始動している。準備委員会発足当初から委員として加わっていたのが、当時日本調教師会関東本部・本部長だった鈴木伸尋調教師だ。委員として活動を始めたのを機に、本業の調教師の仕事をこなしながら、精力的に日本各地の引退競走馬のいる施設を視察し、現状把握につとめてきた。引退競走馬支援の活動は、今やライフワークともなっているという師に、JRAの取り組みや今後の課題など、じっくりと話を聞いた。


写真:JRA調教師 鈴木伸尋さん(撮影:Creem Pan)


 鈴木さんは静岡県田方郡の農家に生まれ育った。祖父が牛や豚も飼養していてその記憶もあるという。やがて家畜はいなくなり、稲作やいちご栽培がメインになったが、家には犬や猫もいて、幼い頃から動物と触れ合う生活をしてきた。そんな中、ムツゴロウこと畑正憲さんの著書を読んだのをきっかけに、野生動物や絶滅危惧種の保護を動物園でやりたくなり獣医を志すようになった。

 進学した日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)で馬術部の勧誘を受け、馬に乗ることにも興味を抱き、入部を決めた。これが馬と関わった最初だった。  「馬の世話をしたり、試合に出たり、馬と触れ合っているうちに、馬の魅力に取り憑かれてしまいました」  野生動物や絶滅危惧種の保護は大学入学後もずっとやりたいことではあった。だが馬との出会いが方向を変えた。馬の獣医を目指す。そう決意した鈴木さんが研修に行った先が千葉県にあるシンボリ牧場だった。当時、5冠馬のシンボリルドルフやダービー馬のシリウスシンボリが現役で、シンボリ牧場で公開調教を行うなど、華やかな時代でもあった。その時の場長が獣医師でもある桐沢正好さんで、約2年間、鈴木さんは桐沢さんから学んだ。だが桐沢は病に倒れ、この世を去る。師匠を失った鈴木さんは、この先どうしようかと考えた。生前、桐沢さんに「調教師という道もある」とアドバイスを受けていた。師匠のその言葉が背中を押した。  調教助手を経て、1997年に調教師試験に合格し、翌1998年に厩舎を開業した、これまでに2003年のクイーンCを制し、オークスで2着となったチューニー、2008年のユニコーンステークスの覇者ユビキタス、2010年の中山牝馬S優勝のニシノブルームーンなどの活躍馬を送り出している。


写真:クイーンCを制したチューニー号と鈴木さんと関係者の方々(提供:鈴木伸尋さん)


 調教師会の役員に選出されたのは、開業して2年目。そこから現在まで長年役員を務めてきた。ところで調教師会とは、どのような仕事をしているのだろうか。鈴木さんに説明してもらった。  「競馬をどのように施行して運用していくかという細かい競馬のルールを競馬会と調教師会との間で決める、馬主会と調教師会の間の様々な取り決めをする、労働組合との間での取り決めやルール作りをしたり賃金等の団体交渉をする。この3つが調教師会の3つの大きな仕事です」  調教師と調教師会役員。それだけでも多忙なはずだが、JRA内に設置された「引退競走馬に関する検討委員会」の委員としての仕事がさらに加わった。


検討委員会への参画


 「それまでも調教師は引退した馬を乗馬クラブや大学の馬術部に譲渡したりしていましたけど、あくまで個人レベルですからね」  競走馬登録抹消からトレセンを出ていくまで、時間の猶予がない。引き取ってくれる乗馬クラブや馬術部を探すのも困難なケースも多い。例え引き取られても、第4回の増山大治郎さんの回でも話題になったように、すべての馬が乗馬になれるわけではない。だが引き取ってもらえただけでよしとし、その先までは追わない。それが業界の暗黙のルールにもなっていた。だから引退した馬のセカンドキャリア以降をどうするかという課題は、表面化することなく解決されないままになっていた。  それが5年ほど前から馬の福祉にしっかり取り組んだ上で、競馬を行っていく。これが世界的な流れになってきた。  「アジアの中で日本は競馬先進国ですし、パートI国(※)にもなったので、日本の競馬界、競馬関係者はしっかりと馬の福祉に取り組んでくださいと、国際会議の中で話し合いがなされました」    そこからJRAを中心とした日本の競馬界も馬の福祉への取り組みを本格化させる流れとなり、JRA内に「引退競走馬に関する検討委員会」が設置されることとなった。 その当時、日本調教師会の副会長で、関東支部長の要職であった鈴木さんは、委員会への参加を打診され、快諾している。これが引退馬支援に大きく関わる転機だった。


※パートI国とは 「国際セリ名簿基準委員会」(ICSC)は、世界の競馬開催国のレベルによってパートIからパートIII(障害競走はパートIV)にグループ分けをしている。2007年(平成19)年、パートI国として認められる要件を満たした日本は、パートII国からパートI国に昇格した。



このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。


 

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