「責任と義務」JRA調教師・鈴木伸尋 2/3

北海道から鹿児島まで、現場を見る
引退馬支援活動を始める以前の鈴木さんは、競馬から引退した馬のその後は気にはなっていたものの、調教師の立場で自分で馬を引き取るのは難しいと考えていた。たくさんいる預託馬たちの中からある特定の馬を自分で面倒をみた場合、他の馬はどうでもいいのかという不公平が生じる可能性があるからだ。それで引退競走馬問題には一線を引いたスタンスだったようだ。 それが「引退競走馬に関する検討委員会」のメンバーになってからは、休日を返上して引退馬を繫養している施設調査のため全国を精力的に回り始め、後述するが馬を引き取るまでになった。 「まず現場は今どういう状況になっているのか、特に養老余生の牧場が日本にどのくらいあって、どのような運営状況なのか。知っているつもりが、実は全く知らないというのを感じていたので、何を求めているのか、どうしたいのか、馬たちはちゃんと余生を送れているのかを確かめたかったですし、まずは現場の生の声をきかなきゃいけないと思いました」 鈴木さんは個人的にホーストラスト北海道、ジオファーム八幡平(岩手県)、ブレーブステーブル(栃木県)、八ヶ岳ホースケア牧場(山梨県)、あしずりダディー牧場(高知県)、土佐黒潮牧場(高知県)、ホーストラスト鹿児島…など、北海道から鹿児島まで30~40カ所の養老余生の牧場に足を運び、それぞれの牧場から実情を聞いた。 「皆、苦労をされていると感じました。SNSをうまく利用いている牧場などは表に出ていて情報がある程度わかりますけど、SNSをしていないと牧場の存在もわかりませんし、どこにその牧場があるのか、何頭飼養しているのか、どんな風に飼養管理をしているのかなど、内情も全くわからないですからね」 まずはSNSなどに情報が上がっている牧場を調べ、そこから1つ1つ訪ね歩いた。訪問先で情報から漏れていた他の養老牧場の情報を得るケースも多々あり、さらに新たな牧場を訪ねる。それが繰り返された。 「東京で会議をして何をしていこうと話し合っても、実際現場の人が何を求めているのかは想像でしかないですよね。机上の論理で取り決めをしても、馬のためにも牧場の人のためにもならないというのが1番大きかったですね」 鈴木さんが集めてきた現場の生の声は、会議の中でかなり反映されているという。
数千万から数十万まで。JRAの奨励金給付
検討委員会には、日本中央競馬会、農林水産省競馬監督課、日本調教師会、日本騎手クラブ、日本馬主協会連合会、日本軽種馬協会、地方競馬全国協会、特別区競馬組合の各団体、組織が参加し、会議が重ねられている。発足して約4年になるが、実績のある養老余生の牧場及び、団体に奨励金を交付するというのが、現在のメインの活動となっている。 「奨励金の金額を決めるのはなかなか難しくて、一応繫養頭数を1つの目安としています。1番高いところで数千万、安いところで数十万と、幅広いです。頭数でいうと1番多い施設が136頭、少ないところで2〜3頭ですね」 お金を出すということになれば、適当は許されない。内部では何段階かの基準を設けて審査し、交付が決定されている。奨励金が交付されていることは、JRAのホームページでも公表されるようになったが、交付を受けた団体や金額については未公開だ。奨励金目当てで開業したり、虚偽の報告があったりすることを懸念してというのが、詳細を公開しない理由の1つのようだ。 奨励金の使途については、厳密なルールはない。 「牧場を回ってみて、各々で必要なものが違うんですよ。牧柵を修理したいという人もいれば、トラックが必要だという人もいる。人を雇いたいとか、従業員にボーナスを出してあげたいとか。ですから、使途を限定すると、お金が活きないので、とりあえずは大枠で馬のために使ってくださいということで交付しています。そのかわり、こちらも調査には出向いて何に使ったかを調べて、委員会の中で公表しています」 奨励金については、段階を踏んで徐々に公開していくことになりそうだ。 「JRAのお金を使っているので、しっかりした制度ができるまでは委員会の中で行っているという感じですね。でもいずれは(勝ち馬投票券購入で)自分が出したお金が馬のために使われるように、また馬のために使われていることがわかるように、誰もが見られるような形にしていく予定です」
検討委員会が目指すこと
検討委員会では、奨励金以外にも流鏑馬(やぶさめ)をはじめとする日本古来からある馬文化を絶やさないよう、経済的援助や講習会を開いて技術面の向上など、継承と発展にも取り組んでいる。 「あとはホースセラピーですね。馬を使って障がいのある人たちに楽しんでもらって元気になってもらうような活動をされているところが、日本にはたくさんあるんです。個人レベルでやっているところがほとんどですけど、そこに支援をしたり、海外から講師を招いてセラピーをしている指導者向けの講演会を開催したりと、様々な取り組みをしています」 だが大きな課題もまだ残っている。引退競走馬たちの受け皿をどう増やしていくかということだ。養老牧場は基本的に収入が預託料のみで、手間がかかるわりには預託料が安い傾向にある。馬を飼うだけではなく、厩舎、放牧地の維持管理だけでもかなりの費用がかかる。敷地が広いと重機が必要不可欠だが、その重機も高額でなかなか入手できない場合もある。人を雇うのも難しく、結果として休みが全くないという状況になりがちだ。このような状況を改善する1つが前述した奨励金なのだろうが、根本的解決のための施策も期待したいところだ。 「現在私たちが把握している養老余生の馬たちの頭数はおそらく2,000頭弱くらいなんですよ。それでも全然足りません。全頭救うのは現段階では無理なのですけど、まあ全頭ならばこの10倍は必要です。セカンドキャリアをいくら増やしたとしても、そこから流れてくる馬たちの受け皿、最終ステージでもある養老余生の施設が増えない限り前に進まないんですよね」

(資料:日本馬事協会「馬関係資料」より、Creem Pan調べ)
では受け皿を増やすためにはどうすればいいのだろうか。
「例えばこれまで10頭だったのが12頭預かれるようにするなど、既存の養老牧場に繫養できる馬の数を増やすことが1つ。それから新たに養老余生の牧場を始めたいという若い人たちを支援したり、牧場で生計がたてられるという要はモデル事業を行うことですよね」
JRAからの支援があったとしてもそれだけに頼るのではなく、引退余生の牧場を事業として成立させ、人々がその仕事によってしっかりと生活していける。それが可能になれば、引退競走馬の未来はかなり明るいものになるだろう。
「知恵とお金ですよね。馬1頭を飼養管理する、馬を預かって牧場を経営するというのはものすごく知識とお金を必要とします。設備投資も必要ですし、厩舎にも放牧地維持にも経費がかかります。きれいごとでは済まないんですよね。なので行政、民間、JRAの三つ巴で、バックアップしていく。そういうことも既にやっているんです」
その1つが、北海道の釧路市に近い標茶町で展開する道東ホースタウンプロジェクト。ここはふるさと納税を活用して、乗馬クラブの練習馬として貢献してきた馬たちが乗馬引退後に暮らす施設だ。
「場所的に何百頭の馬を繫養できるのですが、マンパワーの問題があるのでバックアップしています」
その他にも岡山の蒜山ホースパーク(オールドフレンズジャパン)と高知県のあしずりダディー牧場がその対象となっている。
今後、どのくらいの馬が生きていけるようにするのか、検討委員会には数値的な目標は設定しているのだろうか。
「実は1〜2頭を個人で庭で飼っている人もいるんですよ。そういう方々まで含むと、日本にどれだけ引退した競走馬がいるのか全く把握できていないんです。なので数値的な目標というのはまだ立てられません。今は引退した馬たちが生きていける場所を作ってあげるということを、コツコツとやっているという段階です」
このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。
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