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「調教師役付き」エキストラとして、とあるドラマ撮影に参加した話🐴👨🏻‍🦲🪷


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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


「調教師役」のエキストラ


「エキストラって、つまらないよ」と一度参加したことのある某夫人から聞かされていた。とにかく待ち時間が長いそうだ。芸能人は見られるけど、それが誰なのかは運しだいだし、誰も来ない場合もあると。それでもまあ、行ってみることにした。何事も経験である。集合場所である東京競馬場西門へ向かう道中、着替えを入れたキャリーケースをガラガラと曳きながら「しかし私の場合、そんなことにはなるまいに」と思っていた。



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セリフを貰っちゃったりしたどうしよう。次回もぜひ来てくれと言われても困るよな。だって僧侶だし。そんな僧侶あるまじきことを考えながら、ニヤつくのを止めることができない。

しかし、これはただの妄想ではない。老舗喫茶店のプリンの如く堅固な根拠があった。だって私は「役付き」に選ばれているのだ。競馬場の観客要員として集められたエキストラだが、ほんの数人が「役付き」になる。その他大勢ではない。ハッキリとした役割が与えられているのだ。

決してたまたまでは無い。何を隠そう私は、選ばれるタイプだという自負がある。きっと目を惹くオウラとやらが無尽蔵にほとばしっているのだ。理由?ディズニーシーのタートルトークに行けば、大抵いじられるから、そうなのだ。スキンヘッドで目に付きやすいだけではないか、という至極もっともな指摘など歯牙にもかけない。


受付場所に到着すると、すでに凄い人数が並んでいた。競馬の観戦要員だからある程度の人数は必要だろうが、休日のコストコのような混雑ぶりだった。それを受付の人が手際よく捌いて、やがて私の順番が来た。

「調教師役ですね。では助監督の演技指導に従ってください。」

そう私は調教師役なのだ。快感に身体がしびれる。それに演技指導って・・・やっぱりセリフがあるんじゃん。ついに一歩を踏み出すのだ。何の一歩かは、甚だ不明ではあるけれど。

「え~演技指導があるっすか~?照れちゃうな~?」と、ただの普通の観客役であろう周りの人にアピールする。だが周りには全く相手にされず、係の人からはさっさと向こうへ行けとばかりにエキストラが首から下げるカードを渡された。ちなみに私の後ろに並んでいた人も「観客役ですね。では助監督の演技指導に従ってください。」と全く同じことを言われていた。聞こえないことにした。


受付が全員終わると、綺麗に整列したまま競馬場内へ入っていく。9月なのに凄い日差しだ。「暑い」と言う舌先が、ジュウっと焦げるのではないかというくらいの灼熱。館内には、うっすらと冷房が入っていたので助かった。しかし、まだ朝の8時過ぎだ。確実にあるであろう、屋外の「レース観戦」のシーンを想像するだけでげんなりする。

そしてホールに全員集められたあと、そこから急に時の流れがほぼ止まってしまった。役ごとに呼ばれて、準備をしていくのだが、すすんでいかない。

例えば記者役の人が呼ばれ、集められる。彼らが10分位ボーっと待っていると、それぞれが記者証やカメラを渡され移動して行く。それからしばらくは何も起きない。20分位すると今度は警備員役の人が呼ばれ、集められる。集めたのを忘れた頃に、やっと制服が渡される。

そのあたりが実にじっくりと慎重に進んでいく。まるで時間がゆっくり動いているのか、それとも忍耐力を試されているのか。

やがてエキストラのほぼ全員である観客役の人達が呼ばれ、屋外での撮影のためにゾロゾロと移動していった。

急にガランとした館内で、何らかの役付きでまだ呼ばれていない人たちが、思い思いに過ごしている。私の場合、某夫人のアドバイスで本を持ち込んでいたのだが、その小説が思いのほか退屈だったのが痛恨の極みだった。うとうとしながらページをめくり、眠いけど眠れない、まだ呼ばれてないので移動もできないユルフワな拷問状態。もう2時間近く経過しているのではないだろうか。


あまりに音沙汰ないので、ひょっとして調教師役のエキストラは、私がトイレに行っている間にもう呼ばれていて、実は取り残されてしまったのではないだろうか。そんな心配が生じてきた。これは確認した方が良いのだろうか。それともじっと待つべきであろうか。

そんな葛藤も、なんだかどうでも良くなるくらいに待たされた頃、やっと「調教師役の方!」と声がかかった。再び「役付き」としてのプライドが再び甦る。「はい、私が役付きの中でもより重要なポジション調教師です。」みたいな雰囲気で、前へ進み出てみる。

調教師役は5人いた。驚いたことに私以外はみんな見知っている様子で、親しげに話している。さらには全員がこの灼熱の中で最初からジャケット、ネクタイ(調教師役として指定された)も着用している。

Tシャツ姿の私は見とがめられ、スタッフからすぐに着替えるように促された。慌ててトイレで着替える。戻ってみると、調教師役は集合したまま、(例によって)ここでしばらく待つようにとの指示であった。なんだ全く急ぐ必要は無かっではないか。慌てふためいて着替えた気恥ずかしさもあり、急がせたスタッフを恨めしく思う。

それから長々と待たされるうち、そんな不満も消え、それどころか、あれひょっとして着替えてなかったから、怒らせてしまったのではないだろうか。もう私の役は無くなってしまったのでは。これは確認した方が良いのだろうか。それともじっと待つべきであろうか。

そんな葛藤も、すこぶるどうでも良くなってきた頃、やっと次の指示が出た。なんと出番は午後になるから、そのまま待機という指示であった。


ドラマ撮影おそるべし、である。この格好は暑いから、またTシャツに着替えたら怒られるのであろうか。

嗚呼、もう正直帰りたい。同じ時間を無駄に過ごすなら、冷房の効いた部屋で、パンツ一丁で、あおむけ寝ころがって、ガリガリ君を食べたい。

溶け落ちてくるアイスキャンディーのしずくを大口開けて受け止めたい。あえてガリっと食べないで、ポタポタ舌に落ちてくるガリガリブルーのヒンヤリ感を堪能したい。そんな無駄が良い。

こうして考えてみると、無駄には「有意義な無駄」と「無駄な無駄」があるのではないだろうか。これは「無駄な時間を、いかに有意義に過ごすか」などという、つまらん自己啓発のたぐいではない。無駄をきちんと無駄として、いかに堪能するか。無駄の質の話だ。

嗚呼、既に意識は虚無の彼方にある。ノミも跳ねる時に、思わず放屁することはあるのだろうか?こうしてどうでもいいことに思想を飛ばして、時間の経過を促し過ごす。


(当日は撮影禁止の為)東京競馬場の参考資料
(当日は撮影禁止の為)東京競馬場の参考資料

(つづく)


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文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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