難解な馬運車業を乗り越えられた理由は「前職がシェフだったから」⁉️🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 7月2日
- 読了時間: 3分

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
意外な前職は「イタリアンシェフ」
なぜなら馬の世界でトップに君臨する人は総じて圧が強いから(個人的な印象です)。
調教師であれ牧場主であれ、たとえ良い人と評判の方であっても不思議と圧はほとばしっている。
にっこり笑いながらも、やたら声がデカく鈍器を最上段に構えているような迫力を感じる名伯楽も少なくない(個人的な偏見です)。
そして私の敬愛する某調教師はもちろん良い人なのではあるが、その圧に関してはまあまあの上位機種であった(トレセンの総意です)。

わたしは師を(昔のタイプの)ゴジラに例えていた。
愛嬌があり人気もあるが、怒り出すと周りを焦土と化すタイプ。
ゴジラ化するスイッチが相手の「あいまいさ」であった。
そして自身の強烈な圧ゆえに、相手が「あいまいな」言い方になっていくという事象を、理解していない人でもあった。
案の定、人が好過ぎる桜木さんは、ゴジラの眼下で焦土の中、迷いながら恐る恐る歩を進め、そして確実に地雷を踏んでいくタイプ。
見ていて気の毒ですらあった。
いつも汗をかいて、いつも謝っている。
そんなイメージが当時の桜木さんはあった。
撮影で対談しながら当時を懐かしみ、よくあの時期を乗り切れましたね、という話の中で桜木さんの口から「前職のおかげだ」という言葉があった。
そう桜木さんの前職は、なんとイタリアンのシェフであったのだ。
当時、それを知った我々は調子に乗り、牧場お花見BBQのケータリングをお願いしたりもした。
その場で作ってくれる料理の全てが異常に美味しく、かつオシャレだった。
おかげであの数年、日本で一番贅沢なお花見をしているのは我々だったと確信している。
多めに作ってもらうよう懇願し、タッパを持ち込み、場長としての権能をフル発動して大量に持ち帰っていたのはナイショの話だ。
(もちろん某夫人から下知を賜っていたことは言うまでもない)
職場であったレストランのお昼時は、まさに戦争だったという。
混み始める12時を少し過ぎたあたりから、厨房のプリンターが一斉にオーダーを排出し始める。
待たせてはいけないという緊張感の中、オーダー票をズラッと並べ、どの料理をどういった手順で作っていくのかというパズルを一瞬で組み立てる。
それを仲間に指示していた、というから責任のある立場だったのであろう。
なるほどと合点がいった。
花見BBQで料理を作っている時の桜木さんは、完全に別人だったから。
電話口でスイマセンと連呼しながら、汗を滝のようにかいている。そんな普段の気配は微塵もなかった。
パンッと前掛けを付け、シェフハットを被った姿は、キリッとデキる男の姿であった。
酔った皆が談笑しているのを横目に、料理の減り具合を確認しながら、適切なタイミングで料理を出してくるその姿は、風格すら漂っていた。
レストランのオーダーを裁くスキルと、移動の効率を考え配車を決めていくスキルはどこか似ているという。
「たまたま前職の経験を活かせたから、わたしはラッキーでした」と笑いながら桜木さんは語る。
いいや、そうではない。
一緒に笑いながらも、私は逆のことを思っていた。
おそらくどんな職種であったとしても、きっと活路を見出していただろう。
桜木さんは自分を活かせる人なのだ。
(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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