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馬恩供養ってどうやってやるの?という問題🐴👨🏻‍🦲🪷


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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


前例のない初めての挑戦


さて、ではお焚き上げのお布施をどうしようか?という話だ。


まずお布施は、馬恩供養をやらせてくれる会場(乗馬クラブ)へ、そのまんま全額渡すことにした。利益の一部を、とか必要経費を差し引いてではない。そのままそっくり渡してしまおう。

馬産業興隆の一助になるし、自分の志に照らし合わせて、理に適っているような気がするし、何より自分の気分が良いではないか。



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とりあえずお手紙のお焚き上げは、無料で引き受けることにした。いくばくかの布施は納めたい、納めさせて欲しいという方もいると分かったので、次回以降は賽銭箱を設置し、お気持ちで納めてもらおうと思っているが、基本は無料。

さらに、より気持ちを込めて大切な馬を供養したいという方のために、布施を読込料として設定した。供養の最後に「馬の名前と施主の名前を読み上げていく」というものだ。これは一霊一施主(団体名は可)につき3000円とした。

普段お世話になっている美浦の先生に、馬恩供養の趣旨を説明したら、快く毎回の読込申し込みの約束をしてくれた。本当にありがとうございます。伊坂重信先生、小手川準先生、田中博康先生。


最後にいったい馬恩供養ってどうやってやるの?という問題だ。

え?そこ?なにいってるの?モグリなの?と思った方。言い訳させてください。だって前例が無いのですよ。

だって私が考えたのだもの。資料が無くて当たり前なんですよ。

どうやるのが宗派として正しいのかが、サッパリ分からなかった。そもそも私は出来が悪いのだ。

修行中、年に一度の大切な法要中に、超重要な配役を仰せつかったことがある。

私は式の途中で、奇々怪々な文言にオモロクなってきてしまい、あろうことか笑ってしまったのだ。あのクッキーモンスターですら震えあがる緊張感が漂う僧堂の法要中に、「笑うなっ!」と怒鳴られた修行僧は後にも先にも私一人であろう。

だから修行中お世話になった役寮(教える立場の方)に連絡をした。

やりたいことを伝え、どうすればいいのか作法を一つ一つ教わった。もちろん一般の方には、何をしているのかサッパリ分からないだろう。だが、やる方の気持ちとして一挙手一投足に心を込めたいのだ。

「コイツに勝手にやらせて宗派の名を汚してはならん!」ということであろうか、緊張感をもって丁寧に教えていただいた。

なので、これで本山お墨付きの正式な法要となる。


さて当日。出張・上岡馬頭観音マルシェの日がやってきた。

様々なイベントを企画し、馬好きの人に集まってもらう。そして最後に馬恩供養をするのだ。

今回場所を提供してくれた越生町のHorse Space 紡 の仲嶺さんには感謝しかない。

かなり思い切った試みで、どうなるか全くわからないイベントだったが、相談すると快く協力を申し出てくれた。それこそコンビニのトイレを借りた時くらいの気安さで「どうぞ~」と言ってくれた。ありがとうございます。


おかげさまで快晴に恵まれた。

各イベントが楽しげに進行していく中で午後になり、異常に緊張している自分に気が付いた。あらゆることに気が急いている。お守りが何個売れているのかチェックするのも忘れたし、昼ご飯を食べる余裕も無かった。時間が空けば、わけもなくウロウロと歩き回った。


今更ながら、わたしは緊張するタイプなのだと自覚する。それなりに場数はこなしているつもりだが、相も変わらず緊張する。

教わった供養の、さほど多くはない手順を何度も繰り返し、間違える。最後の法話を何度も復唱し、忘れる。完全に気が急いているので、何度もアレ?となり、プチパニック状態。

緊張しているときにありがちな、なにをやっても悪循環ムーブの波に乗りまくっている。


以前、講演慣れしている人に話を聞くと、控室で待っているときに会場の雰囲気で大体何をしゃべるか決めると言っていた。僧侶でもノープランで法話に挑める人もいる。

全く持って信じられない。いつになったらその境地へたどり着けるのだろうか。


取材にも来ていただきました
取材にも来ていただきました

(つづく)


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文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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