馬関係でもそれに限らずとも、将来になんとなく不安と悩みを抱えているあなたへ🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 8 時間前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
不穏な闇に包まれていた「将来」
馬の仕事とか、それに限らず悩んでいる人へ
小学校を卒業するときのイベントとして、タイムカプセルを埋めた。 中には未来の自分へあてた手紙を入れた。 さすがに細かい部分は忘れたが、「普通のサラリーマンになっている自分へ」的なことを書いたのを覚えている。 周りの同級生は「花屋さんになって綺麗な花に囲まれている。ウフフ」とか「ケーキ屋さんになってる。ツマミ食いのし過ぎに注意!」とか「戦闘機のパイロットになってズババババババッ!」とか書いていた。
中には「この世は滅んでいるので俺は存在しない。残念だったな。」なんて書くノストラがダムしている奴もいた。
私はこういった面々に対し、現実を知らないガキだと鼻で笑う小学生だった。
斜に構えている子供で、斜め過ぎて、それはもう横臥していたかもしれない。
そして、そんな自分がつまらないという自覚もしっかりあった。
それでも何からもハミ出さず、波立たせず、安定している「普通」の生き方以外は、やっかいだと思っていた。
ひょっとしてあの当時から、加齢臭が漂っていたのではないかと疑っている。
初めて夢らしいものを持ったのは、中学生の時。
テレビで高専のロボットコンテストを見て、出場したいと胸が躍った。
その夢は受験し(かなり早い時期の試験だった)、落ちたことで、あっさりと潰える。
英語であまりの難解さに匙を投げ、試験中にフテ寝してしまった。
答案用紙に涎のシミを付けるという暴挙に出ながら、ちょっと夢を抱いた(普通からハミ出そうとした)自分を後悔していた。
それからは全てに対して真っ直ぐにヤル気を見出せない、曲がり過ぎてそれはもう元の位置にいるのではと思えるほど、屈折した思春期を過ごすことになる。
普通よりちょっと良いレベルの高校へ進学した。
そこでの成績も普通より微妙に良くて、余裕を持って「普通」道のど真ん中を邁進しているつもりだった。
しかし大学受験において、ことごとく門前払いを食らうという、つまずき過ぎてそれはもうスキップではないかと錯覚する挫折した青春期を過ごすことになる。
最初から息も絶え絶えの状態で始まった大学生活だが、この頃から「手に負えない部分がある自分」を自覚するようになった。
これは別に大学デビューを試み「尖ったナイフなオレ」をうそぶいているわけではない。
自分は「普通」に過ごしたいのに、興味の湧かないものに対して全く耐性が無く、我慢できないことに気が付いたのだ。
これは入学直後から発動した。
いわゆる「一般教養」の授業に出るのが、苦痛で耐えられなかった。
当然、単位取得が怪しくなる。
アメフト部の顧問教授からは、出席さえすれば単位はもらえるように頼んでやるから大丈夫だ、と言われていたのに、それすらもできない。
そんなの時間の無駄だとうそぶいて、構内のベンチで寝そべっていたのだから、無駄の概念をそもそも理解していない阿呆でもあった。
単純にいじけやすい気質と言えばそうなのだが、それではあまりに不甲斐なく気の毒なので、こうやってズラズラと自分語りをするわたしを甘受してもらいたい。

その頃、親戚のお兄さんでバリバリに運動神経のカタマリのような人がいた。
頼まれて部活をいくつも掛け持ちする、学園青春ものの漫画の主人公みたいな人。
最終的に水泳を選択し、しかしそんなお兄さんでもオリンピック選手にはなれなかった。
オリンピックとは、学園物の主人公では足りないレベルらしいと知り、あれはゴレンジャーがパイルダーオンしてニュータイプにピリカピリララする、まさに異次元レベルなのだと驚いたものだ。
そんな「普通」を超えているお兄さんが大学卒業後、就職した。
某大手スイミングスクールであった。
「自分がなれなかったオリンピック選手を、自分が育ててみたいんだ」
キラキラとカッコイイことを言うお兄さんに対して、当時の私が思ったのは「それで、将来どうするの?」だ。
水泳のコーチという職は、私が安心できる「普通」の範疇から外れているような気がした。
育てられなかったらどうするの?年を取ってからどうするの?
先々が不安にならないのかな、と感じていた。
自分自身が切羽詰まり、将来が不穏な闇に閉ざされつつある中で、こんなことを思っていたのだから、やはり全方向に対していじけた性格だったのだと自覚せざるを得ない。

(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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