私は馬の綺麗な瞳に恋い焦がれて、この世界に入ってきたのではない🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 1 日前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
馬の仕事を選んだ理由
一方で、私の来春の退学は決定事項として目の前にあった。
進級できなければ退学という約束があったからだ。
決めていたのは、就職をして家を出ること。
しかし肝心の、何をしたらいいのかがサッパリ分からなかった。
毎晩ベランダでタバコの煙を吐きながら、夜が明けたら事態が好転する呪文があれば100万遍でも唱えるのにと、わりかし本気で考えていた。
さて、ここまで読んでいだだき、どうであろうか。
思い出しながら書き連ねて、ここまで拗らせていた自分に改めて驚いている。
この叫びながら遠くへ投げ捨てたくなるような自意識と、陰々滅々な将来への不安と、ムツゴロウ王国への憧れと、北海道の万事OK的な大地感を無理やり袋に詰めて、ギウウウウと絞ってみたら捻り出てきたのが、馬だ。
もうそれは現実逃避の一言で片づくのだけれど、自分が不憫すぎるので誤魔化しの言葉をあてがうのを勘弁してもらいたい。
だから(ここの読者の多くがそうであろう)馬が大好きで、その仕事に憧れや尊敬の念が強い人達に全面的に申し訳ないのだ。
「なんで馬の仕事を選んだのですか?」
とか聞いてくる時点で、すごく人間的にピュアで優しい答えをあからさまに期待している人に、オデコと額が一体化するほどの潔い土下座で詫びなければならない。
私は馬の綺麗な瞳に恋い焦がれて、この世界に入ってきたのではない。
溺れる者は藁をもつかむ、というが私の場合は、濁流の中でもがいていたら馬の尻尾が指に絡みつき、それを天啓として後生大事にした、だけの話だ。
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身心脱落(しんじんだつらく)という。
道元禅師が悟りを得た瞬間のキーワードだ。
私のようなものが軽々に扱ってはいけない言葉だが、あえて平たく解説したい。
身も心も脱落させる、とは自意識を手放すことだ。
こうあるべきとこだわり過ぎない。
「自分の考えを持ち、目標を立てて」生きることが正しいとされる世の中だ。
しかしこれは自分を「こうであらねばならない」と規定する「自意識的な生き方」になる。
こだわりが度を過ぎると、他人の生き方を認められない狭量さや、一度の失敗で打ちひしがれてしまう、危険と隣り合わせの考え方になる。
「夢や目標」は聞こえは良いが、現実に自分の理想通りの人生を歩める人はごくわずかだ。
やりたいことがあっても適性がなかったり、理不尽な妨害があったり、不幸に巻き込まれる形で道を諦めなければならないこともある。
理想と現実のギャップに苦しみ続ける日々から抜け出したいのであれば、自意識を手放し、執着せず、今に楽しみを見出していくのが良いのではないだろうか。
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「馬」と道しるべとして思いつき、その登山口を探す日々が始まった。
もちろん順調ではなかったが、すでに楽しかった。
今どうするかに夢中となっていたからであろう。
気が付けば「普通」と「将来」にずっと抱いていた、落ちた一粒の納豆をつまみ上げた指のような不快感も無くなっていた。
不思議なものだ。
だからこそけっこう無遠慮に馬の世界へ踏み入っていけた。
もし今までのように「普通」と「将来」を鑑みてしっかり下調べをしていたら、馬の道は断念していただろう。
なぜなら当時の私は(縮み始めていなければ今も)身長175センチを超えていたし、部活のおかげで筋骨隆々。
体重も85キロを超えていたからだ。
もちろん馬は全くの未経験。
観光牧場の引き馬ですら乗ったことがなかった。
しかも志望動機は、詭弁を弄してはいるが、よくよく突き詰めれば「なんとなく」というふんわりした一言に凝縮される。
私の馬のスタートとなったJBBAの育成技術者研修でも、教官に「お前良く受かったな」と驚かれ、腹が立つどころかマキシマムザホルモンの如く激しくうなずけるくらい、周りの同期研修生とは規格が違っていた。
それからは減量含め、結構大変ではあったが率直にずっと楽しい生活が続いた。
知らない世界過ぎて、興味が尽きることは無かった。
私はウマヅラではあるが、きっと瞳も馬のようにキラキラしていたと思う。

(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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