仕事や進路の向き不向き、悩んでいる人に伝えたい…🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 5 時間前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
これこそ我の進む道と思い込む
この仕事でよく言われる覚悟とか、生き物に対する責任とか熱意とか。
それは実際に仕事として携わってから、一つ一つの命と対峙する中で否応なしに自分に刻まれていくものだ。
つまりは馬に育ててもらうものだ。
この仕事を始める前から語っている覚悟など、それはもう選挙の公約のような、恐ろしく上っ面の言葉の羅列に過ぎない。
もし面接で「やっていく覚悟があるのか?」と問われたら、私は「そんなものは無い」と堂々と内心で答えるだろう。
そして自分に向いているのか、いないのか。
決して他人との比較の中で決めてはいけない。
もちろん他人に決めさせてもいけない。
これこそ自分で決めるものだ。
だって他人の判断程、適当なものは無いから。
人を見る目がある、なんて自己陶酔の極みだ。
人はそんな単純ではない。
私も多くの人を見て、育ててきた自負があるが、舌を巻くほどの技術とセンスを持ち合わせながら、馬の世界を去った人はいる。
逆にこれは心底向いてないなと思っていた人が、数年後フランスへ渡り名門厩舎を引き継いで、調教師になっちゃったりしてる。
結局、自分がその瞬間瞬間でどうするのか。
他人の判断などオールでぶちのめせと中島みゆきも歌っている。
転職も否定されるものではない。
転々とする人も少なくない。
そこで生じる「我慢が効かない」という評価も他人のものだ。
自分の中では違うかもしれない。
オレはマルチに活躍すべく布石を打っているのだ。
いつか役に立つのだと思っているならそれで良い。
打たなくてもいい布石を打ち過ぎて、最良の一手が何だか分からなくなっている可能性も大いにあるが、それを含めての今現在の自分だ。
悩んでいる人に伝えたい。
大いに悩んで悶絶している自分を、今は生みの苦しみ真っ最中なのだと決めつけ、どこかで楽しむ余裕を持ってほしい。
そして「ひょっとしてコレかな?」程度に思える、弱々しい光明らしきものを見つけたら、そのおぼろげな明りにガンガン薪をくべ、燃え上がる炎として、自分でもてはやすのだ。
これこそ我の進む道と思い込む、ということだ。
こだわりが度を過ぎてはいけないが、決めたら遮二無二やってみるのがいい。
必死に取り組めば、どういう形であれ道は見えてくるものだ。
ちなみにこれだけ語っておいて、結局は馬の職を辞してしまい、今はなぜか僧侶になっていることも付け加えておきたい。

(了)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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