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プライドや価値観が激変したホースセラピーとの出会い🐴👨🏻‍🦲🪷


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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


未知だったホースセラピーの世界


「私のYouTubeチャンネルでホースセラピーについて話してみませんか?」

依頼したのは自分だ。だけど、なんとなく自身に気乗りしない部分があるのを感じていた。


わたしとホースセラピーとの出会いは、競走馬の世界から離れて4年ほど経ったころだ。その間の生活は慌ただし過ぎて、全く余裕が無かった。わたしは自分の声にならない声を聴いて僧侶となった。平たく言えば、ノリで出家した。気が付けば、「異世界転生したけど徒手空拳で無双できなかった」状態。



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周りの僧侶が何を言っているのかサッパリ分からないし、覚えたお経は木魚叩くたびに小気味よく記憶から抜けていくし、若者に人生論説かれるし、散々な日々だった。生まれて初めて便秘で苦しむし、脳みそまで禿げてるとか言われるし・・・っと、修行中の愚痴になってしまう。この辺りの話は馬と関係ないので止めておこう。


とにかく4年経って、お坊さんとしての日常に、やっと落ち着きが出始めていた。ハッと気が付くと、激しい禁断症状に身悶える。そう、今の生活には馬がいない。馬が足りない。やっぱり無性に馬が恋しい。


なにか関わることはできないか、と検索した言葉が「ホースセラピー」だった。そこでヒットしたのが「ヒポトピア」という施設。なんと茨城にある自宅から車で10分程度という、超ご近所にそれはあった。


迷うことなく、すぐに連絡を取り、代表の小泉さんへ会いに行く。あの時は(というか今もだが)思い立ったらすぐに動いてしまっていたので、どう自分の状況を説明するのかあまり考えていなかった。


挨拶でポンと出たひとこと目が


「ずっと競走馬やってましたが、今はなんというかあの、テヘヘ、僧侶なんです。」


残念ながら、どこをどう切り取っても、怪しげな自己紹介をしてしまった。明らかに小泉さんが戸惑っているのが分かる。「いや、ツボとか売りつける人ではないんです!」危うく叫びそうになった。


今では「僧侶」という自己紹介も、着古したTシャツのように身についてきた感じがするが、なんといっても当時は修行を終えたばかりであった。すでに産毛すら無いが、生まれたてのポヤポヤ僧侶である。


「僧侶です」


と言い切って名乗るには、思春期のような気恥ずかしさを押しのける胆力が必要だったし、もちろん無かった。だから当時は「いちおう僧侶?なんです、テヘヘ」的な、相手に対してもブッダに対しても、全方面に失礼な挨拶を当時はしていたと思う。


しかし怪しげな挨拶はさておき、どの馬業界でも圧倒的に人手不足である。ヒポトピアでもそれはやはり同様で、私の申し出はことのほか喜ばれた。ホースセラピーをお手伝いさせてもらえることになったのだ。そしてその結果として、わたしの30年近く培ってきたプライドや価値観が激変することになる。


当時、(数年間離れていたとはいえ)馬の扱いには人並み以上の自信があった。さらに馬の管理にはそれ以上、誰にも負けない自信があった。そう。要は、手伝いに来たくせに「だいぶ偉そう」であったのだ。僧侶らしさの欠片も無いというか、すこぶる僧侶らしいというか。


「どれどれ貴方たちのお手並みを、拝見させていただきましょう」


勿論、態度には出さず、心の内の思いではあるが、まあまあイヤなポヤポヤ僧侶であったのだ。


しかし、だ。実際に目の前で広がるホースセラピーの光景は、まるで別の次元にあった。馬の管理、調教で鍛え上げることに夢中になっていた私とは、主眼がそもそも違う。ああこんな世界があるのだと思ったし、この世界こそが本来の馬にふさわしいのではないかとも思った。


馬も子供も、そして見守る大人たちも、幸せだらけだ。そこかしこで幸せがポンポン生まれている。障害を持つ子供たちと、それを見守る大人たち。その構図が幸せという概念の輪郭を際立たせている。その場の中心にいる馬のなんと頼もしく優しい姿よ。


ホースセラピーの一コマ。小さな馬も大活躍する。
ホースセラピーの一コマ。小さな馬も大活躍する。

(つづく)


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文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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