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聞きたいことは山とあるはずなのに…ホースセラピーへの質問の難しさ🐴👨🏻‍🦲🪷


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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。


「ホースセラピーとは何ですか?」


競走馬の世界ではある意味、馬と対峙していく中に楽しさがあった。少年漫画的なアドレナリン噴出系の喜びがあった。一方ホースセラピーは少女漫画だ。小泉さんは本当に「ウフフ」と笑うし。オキシトシンが満ち溢れている。パタリロしか少女漫画を知らないけど。


と、そんな世界観がわたしにとってのホースセラピーだ。なんのこっちゃい。と思った人もいるかもしれない。ポエマーかい。と感じた人もいるかもしれない。だが、ホースセラピーをしっかりと定義付けようとすれば、途端に霧散してしまうのだ。


語れば語るほど、本筋から離れていく気がする。まるで悟りのようなものだ。それゆえ、はっきりと「ホースセラピーとはこうです!えっへん!」と定義づけている人には、逆に怪しげな気配を感じてしまうこともある。それが最初に書いた「気乗りしない」部分となっているのだろう。



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とはいえ。やはりホースセラピーについては、収録をやるべきだとも思う。だって大いに語ってもらい、知ってもらいたい部分もそれ以上にあるのだ。だから、小泉さんに持ち掛けてみた。


「ホースセラピーについてお話してみませんか?」

「うふふ、いいですね! 何をお話ししましょうか?」

「うーん・・・だからホースセラピーについて?」


なんてこった。快諾を得たものの、会話の一歩目からいきなりラビリンスへ突入してしまった。打ち合わせも、具体的には全然進まない。


なので、まあ、とにかくやってみましょうよ、となった。なんか投げやりな感じになったが、仕方ないのだ。どうせ一度では収まらないし、最初は「いわゆる」ホースセラピーの「さわり」について話しましょうよ、と。まるでツチノコの捕らえ方を議論するかのような、どこまでも捉えどころのない話に終始した。「まあ、とにかくやってみよう」と何度言っただろうか。スタートを切れば、ゴールが見えてくるかもしれない。そこに期待することにした。


ただ対談形式である以上、話はこちらから振っていくことになる。まず質問を考えなければならない。


「・・・ん?いったい何を聞けばいいのだろう?」


ラビリンスに再び突入した。聞きたいことは山とあるはずなのに、具体的な質問となると、やはり全然まとまらない。登山口が見つからない。そこで最先端の科学技術に頼ることにした。そう、そのうち人類にとって代わるといわれるAI。早速とって代わってもらおうではないか。


「一般の人が知りたいホースセラピーへの質問を提示して」と入力してみる。ものの数秒で系列化された質問がズラッと並んでいく。さすがの最先端。一切の迷いを感じられない。そして最初の質問に目が張り付き、驚愕した。


「ホースセラピーとは何ですか?」


傍若無人過ぎる、剛速球のどストレート。AI、ひょっとして馬鹿なのか?しばらく唸る。そして、いや、と思い直す。たしかに何も知らない人は、そう質問したいだろう。そう考えなおして提示された質問を改めて見る。


・・・これってじつは珠玉の質問なのではないだろうか。そんな気がしてきた。


結局、そのまま丸々コピペして小泉さんに「当日質問する内容」として送った。実際投げやりになったのか、と問われればそうなのかもしれない。ただ登山口を発見し、一切の気遣いを見せずに最短ルートでガシガシ山頂を目指すAIを頼もしく思ったのは事実だ。


数分後、「了解しました」との返信がくる。ホッとした。ひょっとしたら

「ホースセラピーとは何ですか?とはいったい何ですか?」

と少々の怒気を孕んだラビリンスな返信が来ることを恐れていたからだ。案外あっさりと受け入れられた感があった。


大人しいので、こんな積み方が可能
大人しいので、こんな積み方が可能

(つづく)


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文:国分 二朗

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan

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