とある夫婦と一頭の馬の物語📖 上岡絵馬の発祥にはこんな昔話が…🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.

- 6 時間前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
ホロリとくる上岡絵馬のエピソード
道中を地図で見れば、鎌倉から平泉までおよそ500キロ。
一方で東松山までは100キロに満たない。まだ1/5も進んでいない、ということになってしまう。
しかしこの辺りで関東平野も終わり、栃木の山岳地帯へ入っていく、ちょうど手前になる。
うーむ、これは。
(瑞慶さんヒヨったな。)
さらにはその晩、瑞慶和尚の夢枕に尊像が立ち、「この地に留まる」と告げたというのだ。
ここまでやられては、もう仕方ないではないか。
「だって尊像がそう仰ったんだもん」
と言われれば
「そうだね、ここまでよく頑張ったね」
と瑞慶和尚をねぎらい、認めてあげるのが人の道と言えよう。
きっと世の情勢的にも、すでに時遅しだったのだろう。
逆賊となってしまった義経に加担するより、布教こそが僧の道でもある。
瑞慶和尚は東松山の地に留まることを決心し、福寿庵という庵を作った。
自らの手で馬頭観音像を彫り、その中に(元の重さに戻った)尊像を納めた。
と、コレがここ上岡馬頭観音の始まりである。
少々イジりが過ぎて、夢枕で瑞慶和尚に叱られそうだが、実際はとても高尚な和尚だったらしい。
広く民衆に親しまれ、馬頭観音も馬の守り神として、関東一円広く信仰を集めている。
次は上岡絵馬について、である。
この発祥についても昔話がある。長いのでグッと圧縮して説明してみよう。
筑波の地に住む佐平治夫妻が、えらく可愛がっていた馬がいた。
ある日馬が病気になり必死に看病しているが、看病疲れで佐平治は寝てしまう。
すると神馬がどこからともなく現れ、佐平治を上岡観音まで運んでくれた。
目が覚めた佐平治は驚き、神馬の姿を書き写す。
戻った佐平治が神馬の描かれた紙で愛馬を撫でると、立ちどころに回復する。
佐平治は馬を連れて再び上岡を訪ね、瑞慶和尚に事の経緯を説明し、愛馬を神馬として奉納する。
この話が広く知れ渡り、この馬を記した紙を皆が欲するようになる。紙では心許ないので、板に書くようになった。
コレが上岡絵馬の発祥である。
この昔話が口伝として伝わっている、と上岡絵馬についての資料にちゃんとある。
圧縮したが、これも良いお話である。
佐平治夫婦の愛情にホロリとくる。
アニマルウエルフェアの精神が鎌倉時代から綿々と伝承されているのだ。
スゴイではないか上岡絵馬。と喜んでいたが、これもかなりマユツバらしい。
(これも、とか言うな。)
しかし上岡観音絵馬市保存会、会長の根岸さんが、そう言うのだから、仕方ない。
根岸家は、絵馬講(現在は解散)の帳元を3代に渡り務めていた家系だ。
絵馬講とは、境内で絵馬を売っていた組織の事。
つまり上岡絵馬の歴史の、ど真ん中にいるサラブレッドと言えよう。
その根岸さんが、このディズニー映画になりそうな話の出所を、そっと教えてくれた。
それは平成10年に、この絵馬市が国の選択無形民俗文化財に選定された時。
それを機に正式な資料が作成されることになったという。
この昔話は、その取材の中で、突然出てきた話だそうだ。
根岸さんもよく知る人が「ムフフ、じつは語り継がれている、こんな口伝があるのだよ」と語り始めたらしい。
取材に同行していた根岸さんは、隣で聞いていて
「初めて聞いた。ビックリした。」
と語っている。
いったいどこから出てきた佐平治。
昔はこういったお話を即興で作って周りを楽しませる講談師みたいな人がいたんだよ、と笑って私に教えてくれた。
ただ、まあ良いお話だし、即興で作られたとは思えない完成度のお話である。
なので今後も、この昔話はプッシュしていこうと思っている。
だから今これを読んでいる人は、内緒にしてほしい。

(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan


























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