ドナテルロのためにお経を詠みながら、ふと思い出した"馬の死"と"プロ意識"🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 6月11日
- 読了時間: 3分

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
馬の死との向き合い方
供養が終わり、「そういえば」と鈴木さんに話しかけた。
実はここに来たのは私にとって主たる目的があったからだ。
ひと月ほど前であろうか、1頭の馬が亡くなったとSNSで報告していたのを目にしていた。
ドナテルロという馬だ。
東大馬術部で馬場競技の馬として活躍し、今は余生をときがわホースケアガーデンで送っていた。
とても穏やかで、人のことが好きなのが伝わってくる、優しい馬だったのを覚えている。

ドナテルロの為にお経を上げさせてもらってもよいか?とこちらからお願いした。
また鈴木さんが驚いている。
数時間前に東大馬術部OBの方々がここに集まり、お別れ会を催したばかりなのだという。
こういった縁を、馬は常に運んでくる。
馬房へ行くと、まだ祭壇が残っていた。
綺麗に整えられた写真屋や花が語りかけてくるようだ。
人の念というか、想いが馬房に残り香として強く漂っている。
在りし日の姿を思い浮かべながら、亡くなるまでの経過を聞いた。
私は馬の供養をする時、必ず原因を聞くようにしている。
話す方にとっては辛いのかもしれないが、自分の中でその馬に深く語りかけながらお経を詠めるので、そうしている。
鈴木さんの表情がスッと赤らむ。
視線も落ち着かなくなった。
そして語られた原因は過失や責任を問われるようなものではなかったが、自問自答を繰り返し、決して歯切れの良いものでもなかった。
話が少し逸れるが、ちょっと思い出話をしたい。もう20年以上も前の話だ。
ドリームファームでパートとして働く女性から、「今日は休みたい」と連絡があった。
理由を聞けば、通っている乗馬クラブで、いつも乗っている馬が腹痛で突然亡くなった、ショックで今日はとても行ける状態ではないという話だった。
それをスタッフに伝えた時、ベテランのオーストラリア人スタッフが肩をすくめてこう言った。
「彼女はアマチュア過ぎるね」
少し侮蔑するニュアンスを含んだその言葉に、全員が同意し、なんなら少し高揚した。
そのとおりだ。彼の言ったことは正解だ。
馬に何かある度、仕事を放棄していたら話にならない。
ただそれ以来、私はプロという言葉に悪酔いしてしまった、と思う。
「そうだ、俺たちはプロなんだ。馬の死も、ただの一つの出来事として受け入れ平静を保ってこそプロなんだ」と。
意識して、関わった馬の死を「仕方ない」で済ませるようになった。
さらに言えば「仕方ない」では済まない自分を、アマチュアな部分と認識して封じるようになった。
(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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