震災を生き抜いた馬たち 〜いまなお続く物語🐴
- 11 時間前
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引退馬支援のパイオニアであり、認定NPO法人引退馬協会・代表理事の沼田恭子氏が、
馬と暮らす毎日から抱く思いを綴ります。
サムネール画像:タービランス(引退馬協会所有馬/フォスターホース)とともに
東日本大震災が発生した当時、引退馬協会はNPO法人になったばかりでした。甚大な被害、たくさんの方が被災されました。そして、多くの馬たちも。あれから15年。忘れてはいけない記憶として、私たちの活動のひとつである被災馬支援のことを数回に分けて振り返ります。
馬たちの震災と、引退馬協会の歩み
【第3回】被災馬たちの現在(いま)
前回、前々回のこのブログでも触れさせていただきましたが、引退馬協会が立ち上げた「被災馬INFO」を通じて、個人の方や企業、団体からお寄せいただいたたくさんのご寄付から、医療や飼料(写真左)の支援を行いました。


これらのご支援のおかげで、命を繋ぐことができた馬たちがたくさんいます。被災し保護された馬たちの一部は、一時的に相双地域を離れ北海道へ避難していました。そして、その中には、その後地元へ戻り、「相馬野馬追」に出場した馬もたくさんいます。
震災翌年の「相馬野馬追」で活躍した被災馬
南相馬で暮らしていたダンツムソウもその一頭でした。
地震と津波で厩舎ごと流された彼は、必死で山腹へたどり着きました。雪の舞う夜、探しに来た飼い主のIさんに発見され、もう一頭の馬と愛犬とともにビニールハウスの中で肩を寄せ合って過ごしたと聞いています。

ダンツムソウはその後北海道から南相馬へ戻り、2012年に開催された野馬追に参加、神旗争奪戦で見事に神旗を獲得しています。震災を乗り越えた馬と人が、地域にとって大切な伝統行事の復興に尽力し、それを成し遂げました。このことは、たくさんの人たちに希望と未来を与えたことと思います。
ほかにも、南相馬市小高区の同慶寺周辺をさまよっていたところを保護されたドーケージ(その場所からいつしか名付けられたそうです)、駅前放牧場の周りで不安そうに佇んでいたところを飼い主に保護された道産子の浦里。こうした馬たちの中には、すでにこの世を去った馬もいます。

震災後15年、馬たちも高齢になりました
震災を乗り越えた彼らは、一頭一頭が多くの人々の愛情に包まれて生きてきました。新しい飼い主のもとで穏やかな日々を送ってきた馬たちも、15年前の震災から年月を重ねて高齢となっています。
震災当時、協会が直接関わった馬は60頭(飼料支援のみの馬は含まず)。現在、生存が確認できているのは17頭です。
そのうちの5頭、ハーモニーチトセチャン(牝 年齢不明)、コッチャン(トーセンクレイジー 牝19歳)、ハーモニーフラ(牝 年齢不明)、おにくん(ナイキプラネット セン馬20歳)、コテツ(ルージュビクトリー セン馬19歳)は、引退馬協会の「被災馬フォスターホース」として里親さんたち(フォスターペアレント会員)によって生活を支えられています(2026年4月1日現在。いずれも明け年齢で記載。被災馬フォスターホースのエナコ[トーホクエナジー]は2014年6歳で永眠)。


おにくん(上)とコッチャン(下)の左肩には、
被災時に福島第一原発の20km以内にいたことを示す凍結烙印があります。
これは牛や馬に付けられたもので、被爆により食肉にしてはならないという印です
おにくんとコテツは、今も福島県内で元気にのびのびと暮らしています。そしてハーモニーチトセチャン、コッチャン、ハーモニーフラは、鹿児島のホーストラストで生活しています。ハーモニィチトセチャンとハーモニィフラは、名前や生年月日、血統、特徴などが記載されている「馬の健康手帳」を津波で失ったため本当の名前も年齢もわかりません。
どの馬も高齢となり、病と向き合うこともありますが、それぞれが周囲の方々に支えられながら懸命に生きています。



15年が経ち、震災直後から状況は大きく変わりましたが、私たちはこれからも彼らの命を守り、震災の記憶を大切に伝え続けていきたいと願っています。
Profile
沼田恭子(ぬまたきょうこ)
広島県生まれ。乗馬倶楽部イグレット 代表取締役、認定NPO法人引退馬協会 代表理事。1997年、引退馬協会の前身となる「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会」を設立。2011年「特定非営利活動法人引退馬協会」設立、2013年「認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)」となった。
文:沼田 恭子
構成:Yumiko Okayama
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan

























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