出張・上岡馬頭観音マルシェで「馬恩供養」をしてきた話🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.

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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
より多くの人が満たされる馬恩供養の形
出張・上岡馬頭観音マルシェにおいて「馬恩供養」をやることになった。「ウマオン」や「マオン」ではない。「バオン」だ。力強い咆哮のような響きで、極楽浄土まで突き抜けそうではないか。イイではないか。
上岡馬頭観音として、馬の命そのものと向き合うことを、何かやりたかった。もちろん今までも、馬の供養は申し込みがあればやっている。頼まれなくてもお経を上げることもある。
でも馬が死亡した際に供養をするかどうかは、馬主や調教師、乗馬クラブの代表など責任のある方の判断になる。その辺りの意見は人によって大きく異なるだろう。
「経済動物」である以上、個別の供養は必要ないという判断を「あえて」する。だからこそ、前を向き続けられるのだという方もいる。
一方で個々の命と向き合い、感謝と謝罪を噛み締める。これを覚悟に変えて、今後の糧としていく方もいる。
是や非でなく、私は僧侶として、後者の方に寄り添い支えて、一歩踏み出していく背中をそっと押してあげる存在になりたいと思う。
ただ、そんな供養の在り方、というものを考えてみると、完全に置いてけぼりにしてしまっている方々がいるのではないだろうか。
ファンや趣味で乗馬をしている人達だ。
そもそも供養があったとしても、参列すらかなわない。世界的な名馬であれば、献花台などが設けられる場合があるが、ごく一部だ。ほとんどの場合、ファンはニュースで愛馬の訃報を聞き、辛い気持ちを届ける場所も無く、SNSで悲しみをそっと吐露するしかない。
それは乗馬の世界も同様だろう。
自分が毎週乗りに行っていた馬が、病死してしまったという話を少なからず聞いたことがある。オーナー側であるクラブが淡々としているのに、一会員でしかない自分がことさらに悲しんでいることに遠慮を感じて、気持ちに蓋をしてしまう。
しっかりと向き合うことを許されなかった悲しみは、自分のずっと奥の方でくすぶり続ける。腐敗していくといって良いのかもしれない。馬を見るたびに、その残り香は立ち上り陰鬱とさせる。いつしか馬の側にいることを止めてしまう。そんな人も少なくは無いだろう。
悲しみの感情は蓋をしたり、無かったことにするものではない。赤裸々に向き合って、存在を認めてあげて、初めて浄化されていくものだ。
だからこそ、馬を好きであり続けてもらいたいからこそ、しっかりと堂々と悲しむ機会を設けるべきだ。ただのファンだからとか、一会員にすぎないからとか。そんなもの自分の感情に全く関係ないではないか。
今まで気持ちの持って行き場を見つけられず、自分の奥底へ想いをそっと沈めてていた人たちが、ハッキリと供養に参加できる場所を、僭越ながらも今の私なら提供できるではないだろうか。
念のために言わせてもらえば、この想いの吐露というのは、誰かのせいにするとか、揶揄するとか、では無い。ストレス発散の為に馬の死を利用する人に、一切の用は無い。どこかの掲示板で、バチバチ勝手にやり合っていればよい。
私はあくまでも悲しみや感謝、謝罪の気持ちと向き合っていきたいからだ。
では具体的に、どのように、なにをしていけばいいのか。
まず「お焚き上げ」が良かろうと思った。お仏壇の長谷川公式HPによれば、お焚き上げとは思いや魂の宿った品を天や故人に還す儀式であるそうだ。火の力で浄化し昇華するということなのであろう。
ただお焚き上げのために集めるのが、尻尾やたてがみでは関係者に限定されてしまう。ぬいぐるみ等では、こちら側が収拾付かなくなる可能性がある。
一体なにが良いのであろうか?
関係者にとっても、一会員にとっても、ファンにとっても同じく等しく想いを浄化し昇華できるものが良い。
ウンウンと思い悩み、思いついた。
「そうだ。手紙にしよう」
手紙であれば、全国から集められるし、対応もしやすい。
何より手紙を書くということは、自分の気持ちと向き合うことになる。こんな風に悲しいのだと気が付けた瞬間から、その悲しみは癒され始めている。
「これは・・・かなり良いのではないだろうか」
考えれば考えるほど良い。私の場合、自分の思考の素晴らしさに震えることは、わりかし多い。だが、大抵その後に現実を知り震えることになる。だがこの馬恩供養は、どう考えても良いのではないだろうか。
「ねえ、良いことを思いついたのだけど」
と某夫人に話しかけてみた。振り向いた顔に「オマエノ良いことの思い付きはタイテイロクでもないのだ」とペッタリと張り付いている。しかし、話を聞いた後は「あら・・・良いんじゃないの」ということであった。

(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan


























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