上岡絵馬の存続は困難の連続…それでも守り続ける理由とは🐴👨🏻🦲🪷
- 11 時間前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
「お前は上岡観音様から授かった子供なんだよ」
相当な難産だったそうだ。
母親を取るか、赤子を取るか。
そんな選択が迫られる中、祖父が馬頭観音で祈祷をし、お札を持ってきてくれた。
おかげで無事に出産が済んだという。
そんな話を祖母から繰り返し聞かされ、
「お前は上岡観音様から授かった子供なんだよ」
と言われ育ったのだ。
「祖母の言葉が、ずっと頭の中に残っているんだよね」
なんと素敵な話ではないか。
上岡観音様から授けられた根岸さんが、観音を守り続けている。
それってもう根岸さん、観音じゃん。
というか、授けられたんだから、そもそも血統的に観音って話じゃん。
絵馬を守るために三面六臂のご活躍だから、もう馬頭観音そのものじゃん。
変に合点がいってしまった。
ただ保存会の道のりは常に困難であった。
単純に「絵馬の描き手がいない」からだ。
絵馬は庶民のものだから、高価であってはいけない。
ゆえに利潤も少ない。
しかも煩わしいまでに手間がかかり、自分のオリジナルティーを出すことも許されない。
となると、そうそう手を上げてくれる作家はいない。
最後の書き手であった方がそろそろ引退を、となり根岸さんは方々を探した。
遠くは青森まで。
困り果てた頃、現在の絵馬制作者である津村さんとやっと出会ったそうだ。
板絵の研究家であり、自身が美術家であり、教育者でもあった津村さんは、上岡絵馬存続の意義を十分すぎるほど理解し、今現在ただ一人の制作者として描き続てくれている。
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「観世音菩薩」とある。
人々の救いを求める声を聞けば、ただちに救済してくれるのだという。だから世間一般のイメージは「願い事を叶えてくれる神様」だろう。
私もそう思っていた。じつはこれ、間違っているのだ。
以下は、わたしを指導してくれた老師から聞いた話だ。
老師様の寺には毎月の観音例祭(ご祈祷)を欠かさない一人の檀家さんがいた。
感心するほど信心深い方だったという。
しかし残念ながら、その身には不幸な出来事が立て続けに起きていた。
これでは信仰心など無くなってしまうのではないか、と心配した老師にその人はこう答えたのだ。
「辛い時ほど観音様が見守ってくれている」
内心驚きながら老師が話を聞くと
「私は願い事をしないのです。ただ進もうとする私を見守ってくださいというだけです」
観音菩薩をそばに感じているんです、とその人は微笑んだ。
老師様はこの檀家さんから、こう学んだと話を締めくくった。
「願いをかなえるのが観音さまなのではない。そっと寄り添い一緒に進んでくれるのが観世音菩薩なのですよ」。
どうであろうか?
都合の好い願い事ばかりして、惰眠をむさぼり続けていた私にはゾッとするような話でもある。
だってすべてを見守られているのだから。
そして上岡観音様にとって、根岸さんは見守り甲斐がある方に違いないのだろうな、と思うのだ。
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伝統を守られている上岡絵馬ではあるが、民衆の文化であるがゆえにあるのが時代時代だ。
馬の絵だけでは駄目だということで、牛の絵もある。
機械化の波に乗ってトラクターの絵もある。
馬の絵に関しても毎年のように新作を出す。
これは根岸さんと津村さんで話し合い、上岡絵馬の約束事の中で作られている。
去年の夏、根岸さんと話している中で、フト思い付き提案してみた。
「今は競馬が人気あるし、サラブレッドも良いんじゃないですか?」
上岡絵馬に出てくる馬は、在来種がベースだ。
だから顔に流星は無い。
脚元に白がある馬もいない。
だから型紙はそのままに、額や足元に白い模様を付ければ、これは競走馬です。サラブレッドですよ、と出せるのではないですか。
そう説明したら、根岸さんはすごく喜んでくれて「それはイイ、それはイイ」と何度も繰り返してくれた。
というわけで。今年の新作の中に黒鹿毛の流星と、鹿毛の流星の馬がいます。
流星の形を見れば分かってもらえると思いますが、モデルはエルコンドルパサーとナカヤマフェスタとなります。
ぜひ手に取ってくださいね。

(了)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan


























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