トウカイテイオー現役時代の貴重なエピソードの数々を直接取材してきた件について🐴
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馬のような謎の四足歩行生物「UMA」の産みの親である
イラストレーター・鷹月ナトが、
日頃の制作活動の舞台裏や、馬への愛を書き連ねる連載です。
前回でお宝の品々をたっぷり見せていただいたあと、今度はお待ちかねの直接インタビューを開始。
各々事前に伺いたいと思っていた質問を携え、北口氏に伺っていく。
まずはトウカイテイオーの話から。

北口氏から見た当時のトウカイテイオーの印象、性格について
初めて乗って常歩をさせた時は頼りない感じで、なんだか力が無く、くにゃくにゃした馬だなという印象を受けたが、追いきりで走らせるとぐっと沈むフォームを見せ驚いたとのこと。最初の頃から体の柔らかさを感じさせてくれる。北口氏曰く3ナンバーのような乗り心地とのこと。
長く良い脚を使えるタイプ寄りだったため、ダービーの時点では第4コーナーの時点でもう勝ったという確信があったぐらい物凄い馬だった。
性格は大人しい。だが獣医の前では物陰に隠れたりして、白衣に対して嫌いだったとのこと。
ウマ娘のアニメでも非常に注射を嫌がっていたシーンがあったが、本馬もまさしく苦手な様子だったらしい。
ただ厩務員や関係者に対しては懐いており、人を信頼していた。織明さんの本にも記載されていた内容の一つで、人があんぱんを食べているところを見て自分も食べれるものと思ったのか、興味を示して食べたりすることもあった。
(結局気に入らなかったのかすぐに口から出したとのこと)
トウカイテイオーの好物、食事等について
ニンジンが好き。というか食べたことないものは馬は基本食べない。
食べさせる場合はなまして(細かく刻んで)他の飼料と混ぜて味を覚えさせるとのこと。
基本的には燕麦、大豆粕、フスマを混ぜたものを普段の食事としてあげていた。
ちなみに現在では良く使われている厩舎ごとにブレンドが違う配合飼料というものは20年ほど前あたりに登場したらしい。
皐月賞等の遠征時には関西の水を持って行ったりしていた。それじゃないと飲まないというよりかはもし向こうで水を飲まなかった時の為の対策として。
またリンゴも好きで現役時もあげており、引退後もリンゴは変わらず好きだったようだ。
父親のシンボリルドルフがふじりんごをよく好んでたとも言うあたりこの一族がリンゴ好き説はありそうです。

最初の骨折後のことについて
ダービー後に骨折が判明した時は北海道に放牧へ。
当時は近場に外厩等が無かったため、長期間見れる北海道の牧場まで送る必要があったとのこと。
また逆に外厩が無い故に半年~1年ずっとトレセンに在厩していることも多かった模様。現在のシステムとの違いがうかがえる。
骨折が判明する前、ダービーの後にはフランスの予定が立っていたくらい期待されており、むしろ三冠より凱旋門賞を検討していたとも。調教師もフランス語を勉強していたほど。
ここらへんはすごく当時の空気感を感じるのと同時に、そこまで夢を見させてくれる馬だったんだなぁと改めて実感。
骨折が治った後は産経大阪杯に出走し復活勝利、そこから天皇賞春へ。調教師としてはどの路線でも行けると思い天皇賞春への出走が決定したとのこと。
骨折後は元のパフォーマンスが出せずに不調のままになる馬もいるが、トウカイテイオーは骨折後もパフォーマンスが変わらずだった。
トウカイテイオーの骨折は筋肉の力が強すぎてフレームである骨の方が耐えられず折れてしまったという形だった故か、筋肉や筋に影響があったという感じでは無かった模様。
2度目の骨折の後
天皇賞春の後再び骨折が判明。その後は再び放牧に出し、天皇賞秋に向けてトレセンに戻すものの急仕上げだったのもあり整わず7着。その後のジャパンカップは海外馬を凌ぎクビ差で勝利をあげた。
ジャパンカップ以降、鹿児島の大崎の砂浜にてリトレーニングがされた。(唐沢さんが過去に取材していた話からによると)
また福島のいわきの温泉へも厩務員だった東さんが連れていったことがある。(こちらはどのタイミングだったかは不明)
馬を温泉に入れるということは最近は少なくなったとのこと。理由としては筋肉が緩んでしまい、また体を作るのに時間がかかってしまうため。半年~1年くらい休まないといけない、余程腱を痛めたりした馬を連れて行く場所という感じになっている。
(次回に続く)
文:鷹月 ナト
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan

























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