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🐎今だから話したいメイショウサムソンのこと


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引退馬支援のパイオニアであり、認定NPO法人引退馬協会・代表理事の沼田恭子氏が、

馬と暮らす毎日から抱く思いを綴ります。

サムネール画像:タービランス(引退馬協会所有馬/フォスターホース)とともに


メイショウサムソン(2003.3.7 ‐ 2024.11.26)が亡くなって、早くも1年が過ぎました。サムソンを思い出すたび心に浮かぶのはひだか・ホース・フレンズの場長、村上善己さんです。

村上場長のおかげで、サムソンは安らぎに満ちた日々を送ることができたと思います。


放牧地を歩くメイショウサムソンと村上善己さん(いずれも画像提供:引退馬協会)
放牧地を歩くメイショウサムソンと村上善己さん(いずれも画像提供:引退馬協会)


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村上さんに甘えるメイショウサムソン
村上さんに甘えるメイショウサムソン

サムソンと村上場長の深い絆


メイショウサムソンは競走馬としてまた種牡馬としての役割を立派に果たし、最後は引退馬協会の里親さんによる支えで最後の3年間を過ごしました。

この期間は彼にとってこれまでにはなかった、穏やかな日々であったと確信しています。

その安らぎをもたらしたのは間違いなく村上場長の存在があったからです。


サムソンは2021年10月、イーストスタッドを退厩し引退馬協会のフォスターホースとなりました。翌2022年9月、サムソンは疝痛から大きな開腹手術を経験しました。放牧中の異変を察知し、早期に対処できたことも村上場長のおかげと言えます。

村上場長はサムソンにとっての命の恩人であり、おそらく彼にとってもサムソンは非常に大切な存在だったと思います。


2022年9月、開腹手術後のメイショウサムソン
2022年9月、開腹手術後のメイショウサムソン

2024年夏、サムソンの尻尾の付け根に異常が見つかり、村上場長からのご相談で道内では一番設備が整っている社台クリニックでの検査を申し込みました。いままでにもいくつかの検査がありましたが経過観察が続いていました。


そして10月15日、この日は社台クリニックで大掛かりな検査が行われました。

このとき、サムソンの緊張を和らげるため、村上場長は自らの体調が優れないにもかかわらず付き添ってくださいました。


10月25日に検査結果が出ましたが、腺がんであることが判明しました。

麻酔のリスクや術後のQOL、そして腫瘍の可能性についても何度も検討されましたが、検討の結果サムソンは再びクリニックに運ばれ、10月30日に手術が行われることになりました。

その間、元々食べることが大好きだったサムソンの食欲が落ちていき、彼のために村上場長は日高にあるサムソンがいつも放牧されていた大好きな牧草地の牧草を刈って届けてくれました。少しでも緊張を和らげ、食欲がでるように、食べられるようにとの気遣いでした。


断尾という大掛かりな手術だったため、サムソンだけでなくみんなが緊張している中、手術当日はサムソンの緊張や気持ちを落ち着かせるために村上場長が彼の前に立ち、施術を行いました。場長の姿をみて安心したのか、サムソンも少し落ち着きを見せてくれました。


2024年10月、断尾手術後のメイショウサムソン
2024年10月、断尾手術後のメイショウサムソン

無事手術は成功しましたが、村上場長は術後もサムソンのため夜遅くまで付き添われていました。ご自身に食欲がなく何も口にされておらず、ずっと付き添われて体も疲れていたと思います。しかし、その疲れも顧みず、村上場長は常にサムソンのことを気遣われていました。


11月1日には、サムソンは届けられた生牧草を喜んで食べました。サムソンは食欲も旺盛で、私たちに希望を持たせてくれました。

同じ日、長く体調不良が続いていた村上場長も病院で検査を受けられました。サムソンの入院と手術を経て、安心されたのだと思います。結果として村上場長のがんが判明しました。


やっと休みをとりご自身の病院へ行かれた村上場長ですが、その日の帰りにもやはりサムソンの様子を見に来てくださいました。

この日村上場長を見たサムソンは、彼に激しく甘えてみせました。

私たちはサムソンが手術後に元気を取り戻したと思っていましたが、今振り返ってみるとサムソンにとっては別の感情があったのかもしれません。


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入院中のメイショウサムソンを見舞う村上さん

サムソンはとても嬉しそうに、村上さんに甘えていました


そして、その6日後の11月7日に村上場長は倒れ、緊急入院となりました。

11月26日、サムソン永眠。


一時は回復に向かわれたと伺いましたが、年が明けて2025年1月7日、村上場長はサムソンの後を追うように旅立たれました。


村上場長には、サムソンが亡くなったことをお伝えしないままになりました。



たくさんの人に幸せを運んだ馬・メイショウサムソン


サムソンは本当にたくさんの方に愛され、たくさんの方に幸せを運んだ馬でした。

亡くなって遺骨となって帰ってきた馬房には、馬主だった松本氏や生産牧場の林氏、最初の調教師であった瀬戸口調教師のご家族、多くの里親さん、そしてたくさんのファンがお参りに来てくださいました。


松本氏のご厚意により、サムソンの墓碑は非公開ではありますが、種牡馬として過ごしたイーストスタッドに建立されました。(イーストスタッドの見学期間中も非公開となります。お墓に関するお問い合わせ等もご遠慮くださいますよう、ご理解ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます)


引退馬協会では、たくさんの方々にサムソンに出会っていただくことを願い、来年設営する「うまのふるさと」モニュメントにも、名前とたてがみを納めたいと考えています。たくさんのファンの方に、再びサムソンに会っていただける場所になることを願っています。


在りし日のメイショウサムソン
在りし日のメイショウサムソン
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Profile

沼田恭子(ぬまたきょうこ)


広島県生まれ。乗馬倶楽部イグレット 代表取締役、認定NPO法人引退馬協会 代表理事。1997年、引退馬協会の前身となる「イグレット軽種馬フォスターペアレントの会」を設立。2011年「特定非営利活動法人引退馬協会」設立、2013年「認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)」となった。



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文:沼田 恭子

構成:Yumiko Okayama

編集:椎葉 権成

著作:Creem Pan


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