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馬医療の地域格差と啓蒙活動|馬の獣医師が語る"安楽死" 5/5(社台ホースクリニック 鈴木吏)


※本記事は「馬の安楽死を含む医療」をテーマとしているため、一部センシティブな写真を掲載しております。ご了承の上お読みください。


"生きた情報"の共有

普段は北海道にいる鈴木獣医師だが、遠方へと飛び、現地で手術を行うこともある。

そして各地の馬医療を目にしてきたことで、ある課題を肌で感じるようになった。

それは、"提供可能な馬医療(外科手術)の地域格差"である。

「僕が九州にいた20年前に比べて国内の馬医療は発展しましたが、外科手術に関する分野に言及すると、北海道外では急患対応なども含めてまだまだ不十分だと感じています。国内の馬に対する外科手術がなかなか普及しない理由は、馬が北海道に集中していることが大きな原因です」

確かに、農林水産省畜産局競馬監督課『馬産地をめぐる情勢』(令和5年6月)を見てみると、全国の軽種馬生産頭数7,782頭のうち、北海道での生産頭数は7,597頭と、実に全体の98%を占めている。必然的に最新の馬医療技術は北海道に持ち込まれることになり、それ以外の地域では頭数差も相まって十分な経験を積むことができないのが現状だ。



実は、内地(北海道以外の地域)にも、九州、中国、近畿、関東、東北地方など、馬の手術が可能な施設はたくさん存在する。

だが、先述した理由から施設の利用価値を最大限活かせていないのだという。


取材に基づき作成(CreemPan)


「北海道では、この20年で色んなことが発展して、手術が必要だった疝痛馬の8割が助かるようになりました。だけど内地ではやれることが限られてしまっていて、北海道では助かった可能性のあった馬が死んだ話をたびたび聞いていました。なので、その辺りを改善するためにはどうすれば良いのかを考えました」

日本の各地で、獣医師間の勉強会は頻繁に行われている。

だが、座学だけでは助けられない馬もいる。手術には何より実践経験が必要となる。

理想は、内地の獣医師に沢山の経験してもらう事だが、あいにく馬、それにともなう手術や治療件数も北海道に集中するため、簡単に経験を積んで技術向上することは難しい。その問題を解決する方法を模索した。

「そのためにまずは、情報発信をすることにしました。ある程度共有ができる情報に関してはWEBで発信して、『こんなこともできるんですよ』と内地の獣医さんたちだけでなく、馬関係者(オーナーや管理者)に知ってもらうことで、選択肢の幅を広げてもらうんです」

実際に、鈴木獣医師が運営する『馬好きさんのライト獣医学』では、日々の飼養管理から専門的な馬医療に関する知識まで、様々な情報を無料で発信している。


鈴木獣医師が運営する『馬好きさんのライト獣医学


地域によっては牛をメインに診療する獣医師しかいない地域もあるため、そういった馬に慣れていない獣医師に向けても情報発信を行っている。

ただ、単に獣医師に向けて発信するだけでは、まだ不十分なのだという。

「さっき言ったように今は疝痛手術の8割が助かりますし、手術した後にG1レースを勝った馬もいます。けれども、乗馬を含めた馬のオーナーさん達の中には、そういった馬医療の可能性を知らされずに『手術して治っても、競馬や馬術競技に使えないんでしょ』と思われている方がいると思います。そうすると『手術をやってくれ』という言葉が出なくなる。オーナーからの依頼がないと獣医師は手術できないですし、勉強する必要性が無ければ技術も進歩しにくいという背景もあると思います。こればかりは、これまでに国内の馬社会に対して啓蒙・情報発信を十分できてこなかった我々獣医師に責任があると考えています。

逆に、オーナーから要望があれば、獣医師はそれに応えるべく体制を整える必要性が高りますし、ゆくゆくはビジネスにもなるかもしれない。そうなれば、あとは加速度的に発展する可能性だってあると思っています」

つまり、馬医療の地域格差を是正するためには、獣医師だけではなく、オーナーや管理者への情報発信が必要となるのだ。

「手術するしないの判断はオーナーさんが決められる事ですが、治療したいときに『選択肢が無いので安楽死』ということにはしたくない。『バナミン(痛み止め)3回打って、効かなければ諦めなさい。』そんな悲しい現実をいつまでも続けていては進歩がありません。いちばん大切なことは、現実的、かつ実施可能な選択肢を増やすこと。その実現と充実のために双方に向けた情報発信を続けています」


啓蒙活動に取り組む鈴木獣医師(本人提供)


大切なのは「助けたい」と思う心

現在の日本では競馬以外の馬文化が少ないため、馬は"経済動物"としての側面が強い。そうすると、お金のかかる"手術"という選択はどうしても取られにくくなる。そして先述のように、馬のオーナーが治療を希望しない事には、治療がすすめられない。

──では、どうすれば彼ら"経済動物"の命を救うことができるのだろうか。

「最終的に決断に影響するのは『助けたい』と思う心です。それには犬や猫がペットであるように、馬も"愛玩動物"なんだという概念が広がってくれれば、『何とかしてください』『生きているだけでもいいので助けてください』という声も上がるようになるかもしれません。

逆説的ではありますが、"経済"という言葉に縛られすぎていることもあると思います。競走馬だけでなく乗馬も"経済動物"に含まれるでしょう。馬を調教した方なら意味が分かると思います。馬に愛情を持ち、興味を抱き、馬が発する小さな変化や、わずかな訴えに気付けなければ、良い馬は育てられません。ゲームのようにスケジュールだけ組んで調教しても馬は育ちません。人の愛情が根底にあってこそ、良い馬が育ち、最終的にその馬の経済的価値が高められると思っています。経済動物とはいえども、今の日本社会の中で彼らの命の意義を確立させるためには愛情が必要なんです」

馬を"経済動物"として一括りに見るから、走れなくなったら安楽死、乗れなくなったら安楽死という選択に行き着く。そうではなく、生き物として馬が好きな人が増え、"愛玩動物"という感覚で馬を見る人が増えれば、命を救うという選択肢が広がる。そうして馬のオーナーが、その選択肢を持つことで、馬医療に求められる技量も自ずと高くなる。そして獣医師も研鑽を積み、提示できる可能性の幅が広がっていく──。

こういった好循環こそが、馬医療技術の発展、ひいては彼らの命を救う事にもつながるのだ。

「私のWEBサイトを見て連絡が来ることもあります。サイト名の"馬好きさんの"という言葉のとおり、馬が好きな人が増えて、オーナーや管理者の選択肢が増えて、少しずつ社会が変わって、ハッピーな馬が増えていく。そういうところに、自分の角度から少しだけでも貢献できればいいなと思っています」


20年越しに叶った想い

鈴木獣医師がWEBサイト運営と並行して行っている活動がある。それは一般の方を対象とした講義だ。