競馬場内のトラブルを減らし、ファンを増やすためには?🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.

- 8月20日
- 読了時間: 4分

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
もしも競馬場で他人のマナーにイラッとしてしまったら…
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「戒律かいりつ」とある。
仏道の修行者が守るべき生活での決まりごとだ。
ただ本来「戒」と「律」で意味は異なってくる。
「戒」は佛教者として正しいことを選択し、実践していくあくまで自発的なものに対し、「律」は仏教者としてあるべきルー ルであり、違反すると罰則がある。
初期の仏教は律をより重んじるが、日本に中国を経て入ってきた大乗仏教は戒を重んじる傾向がある。
難しい話になってしまうので、フワッと伝えれば「戒はお気持ちのマナー」で、「律は罰則のあるルール」だ。
律を重んじる方が当然厳しいのだが、偏向気味になると「律で禁じられていなければ何をしてもOK」であったり、律の文言から抜け道を探すような「そもそも仏教徒として」おかしい問題も出てくる。
戒は戒で自発的なものに根差すので、都合の好いように解釈した生臭坊主が多数生じているのは言わずもがなだろう。
だから、やはり要は塩梅なのだ。
基本の「律」に根差し、時代や状況に則した「戒」を自身に課していくことが求められる。
その生き方は仏道に限らず、広くあまたの世界で平和的に生きていく術として非常に有用なものであろう、と思うので興味のある方はググってください。
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馬が好き、騎手が好き、競馬場メシが好き、ウマグッズが好き。
そして今はウマ娘が好き。
いろんなスキが溢れているのが競馬場だ。
それゆえまず自分が楽しむことに集中するべきだろう。
そして周りの人たちもそれぞれ楽しみたいのだから、余計な干渉をするべきではない。
もし(ルールに明記されていない)他の人のマナーにイライラしてしまう自分がいるのであれば、まず冷静に自分に問い直してみよう。
なぜこうも腹が立つのか。
ひょっとしたら、先ほど自信があった馬券を外したことに遠因があるのではないか?
そして馬のことをロクに知らない素人のくせにペラペラと語る奴が、そばにいたからではないか?
そいつがあろうことか清廉華憐な彼女を連れていたからではないか?
しかも馬券的中しやがって。あの野郎!
胸に手を置いて冷静に考えて欲しい。
イイやそうではないのだ。
断じて愛してやまない馬の為なのだ。
馬に害が及ぶかもしれないのを、放っておくわけにはいかないのだ。
ということであれば、自分で物申すのではなく、必ずそこかしこにいる競馬場職員にお願いするのが良かろう。

一方でルールに明記してあることに対する違反には、モノ申してもイイとは思う。
しかしそれでも、乱暴な物言いは避けるべきだろう。
平和な気持ちで、一緒に競馬を楽しみましょうという博愛の精神のもと伝えるべきだと思う。
それが無理ならやはり競馬場の職員にチクれば良い。
何でもかんでも競馬場の職員に押し付けるなとの意見があるかもしれないが、ファン同士のトラブルが起こって、それを盗撮され、SNS上で面白おかしく拡散されてしまうよりは、よほど良いと断言できる。
今や日本の競馬場での盛り上がりは、世界でも突出している。
フランスの凱旋門賞やアメリカのケンタッキーダービーのような、異様なまでの盛り上がりを見せるレースが、日本ではG1シーズンであれば、毎週のように催されているのだ。
これが海外の一流ジョッキーが、日本で乗りたがる理由にもなっている。
空気がビリビリと震えるような大歓声の中で、追い比べができるのは騎手冥利に尽きるのだろう。
競馬場の主役は馬であることは間違いなのだが、世界中のホースマンが羨む、その熱狂的な雰囲気を作り上げているのは、紛れもなくファンなのだ。
その世界一のファンの一端を担う貴方は、もうどんなもんだいと大いに誇りを持って(ちょっとだけ散財してくれれば)良い。
そして広い空のもとで疾走する競走馬の迫力に心を焼かれ、馬を愛する民がどんどん増えるよう皆を誘い、さらに素敵な場所に育てていこうではないか。
(了)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan


























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