ホースマンたるもの、欧州競馬への憧れは尽きない🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.

- 10月8日
- 読了時間: 4分

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
欧州の競馬社会に対する憧れ
(以下は掲載される週を勘違いして書いたもので、じつは随分と前に書き終わっていることをうっすら察しつつ読んでください)
さて凱旋門賞シーズンだ。
あまたの海外G1レースがあるが、これほど毎年のように話題となるレースは他に無いだろう。馬場の傾向から、向いている血統、臨戦過程において様々な検証がなされている。
あわやという馬がでれば、「勝つのはもう早い者勝ち!もってけ泥棒!」的な風潮になり、わんさかと出走登録する。今度こそという馬の惨敗が続くと、「あれはもはや違う種目の競馬なのであーる。もはや世界のトップである日本の馬が出走する意味などまーったく無いのであーる」風な意見が大勢を占めてくる。
けれども元競馬人として思うのは、惨敗が続こうと、そしていつか勝利を収めようと、凱旋門賞を含め欧州のチャンピオンディスタンスへ打って出る馬が絶えることは無いだろう、ということだ。
何故って?それこそが我々がホースマンである由縁だからだ。説明がポエムではないか、とのお叱りはもっともだ。そもそも「お前は既にホースマンではない」ではないかとのご指摘は、正論を堂々と言うなつまらん人間めと煙に巻いておこう。
理由の一つとして、ハッキリといえば「憧れ」である。
実際に日本で競馬に従事する人の、欧州の競馬社会に対する憧れは、アメリカのものに対してよりもかなり強い(と思う)。これはどちらが強いとかいう話ではない。馬と共に過ごし、調教する仕事環境下においての話だ。嗜好の感覚に近いのかもしれない。芝かダートか、という部分もあるだろう。
例えば海外研修の話があったとしよう。見学だけではなく、実際に仕事に従事し、調教に跨るタイプの海外研修。研修先の選択肢には英仏のニューマーケット、シャンティイ。もしくはアメリカのチャーチルタウンズ、サンタアニタ。どこで研修したいかと問われれば、多くの競馬人は欧州での研修を望むのではないだろうか。長期であればあるほど、その傾向は強くなるだろう。
理由は自然の地形を活かした競馬場や調教場の雰囲気がたまらないから。その規模に圧倒される。私がニューマーケットへ初めて行った時は、解放感にクラクラしつつ、魂が奥の方で「ただいま!」と叫んでいるのを感じた。ジュラシックパークになぜか心惹かれる感覚に近い。それぐらいの根源感がある、という話だ。
それに馬の仕事に従事する人は、少なからず自然派な気質があろう。都会のビル群より地平線のある風景での生活にあこがれを抱く。アスファルトより木の香りを好み、カレーよりシチューのCMを愛する。
そういえば、まだフサフサしている若い頃の話だ。夜の首都高速をドライブしていると、隣の女性が「夜景が綺麗・・・」と艶っぽくつぶやいた。その瞬間、私は「深夜にこれだけの明かりの下で、まだ多くの人がウゴウゴしてるって気持ち悪いのに」と思ってしまったのだ。もちろん口では「夜景よりお前の方が・・・」と、下半身がゴウゴウなセリフを吐くくらいにはフサフサであったのだけれど、とにかくホースマンにとって欧州での調教風景は、自然と一体然とした原点なのだ。それはもう北海道ですら遠く及ばない。絶対に日本では体験できない、馬と緑の濃密な関係がそこにある。
私がこれからツラツラと知ったかぶって語るのは、欧州の競馬環境一般論ということになる。しかし、実際に馬に跨ったことがあるのはアイルランドのキルデア、カラとイギリスのニューマーケットだけだ。フランスのシャンティイも熟知しているような誤解があるが、全然知らない。半日滞在しただけだ。残念ながら、フランスではパリの魅力に抗えず、観光を楽しむ時間を多く取ってしまった。先ほど自然派を熱く語ったホースマンとして、まさに痛恨の極みである。
さらに言えば、アイルランドやイギリスに滞在したのも30年近く前の話だ。つまり記憶があやふやだ。おとといの晩飯のメニューすら記憶の深淵に沈んでしまう、そんな私が30年前のことを正確に思い出せるわけがない。よって過分に美化されている可能性は否定できない。それでも魅力を伝えたいが故、とご理解願いたい。

(つづく)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan


























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