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「なぜ馬は走り続けることが出来ないのか」JRA馬主・塩澤正樹 3/3


JRAの見舞金制度


 これまでの話で、繁殖牝馬や競走馬を所有するのには、コストがかかり、リスクもかなり高いことがわかった。その一方で中央競馬に登録して競走馬になった場合、事故や怪我などで出る見舞金など、ある程度の補償もある。この見舞金制度について、塩澤さんの意見を聞いた。



現役馬の維持費は年間約720万円


 「1号見舞金はレース中の事故で死亡した場合630万円、2号見舞金は調教中の事故で死亡した場合で、615万円が支払われます。例えば2,000万円で馬を買った場合、デビューするまでの維持費が1,000万円以上だとして合計3,000万円はかかっています。それでデビュー戦を勝って700〜800万円賞金が入ってきて、次のレース中に故障して死んでしまいましたとなった時に、見舞金の630万円という数字だけを見ると、割に合わない。それが自己生産馬の場合だと、例えばデビューまでに種付け料をはじめ、かかった経費が1,000万円で、デビューして着外、着外ときて、3走目でレース中の故障で死んでしまって630万円の見舞金が出るとなると、それはちょっとありがたいかもしれない。だから一概には言えないですけど、それでも大幅にプラスになるということはないですね」

 また見舞金が支給されても、やりきれない思いが残ることもある。

 「これまで2頭の馬に死なれているからよくわかるんやけどね。ナオミベガスという馬は、デビュー以来5着以下がなくて、多分オープンまで行けてただろうという馬でした。2着に入ったレースで骨折して、牝馬でしたから何とか繁殖にしようと思って、厩務員も一週間付きっ切りで世話してくれて。でも厩務員に、最後は泣きながらもう無理ですわ、先生って言われて、それで諦めたんやけど、この馬で見舞金貰った時は、(気持ち的にも)割に合わないと思いました」

 もう1頭はハシレマサムネ。3歳時に交流戦で勝利し、これからという調教中に故障して死亡した。

 「馬の購入代金が2,500万円で、2号見舞金の615万円が出ても、割には合わないです。見舞金はないと困るけど、貰ってもプラスになることは少ないですね。でも11号見舞金のように、レース中に骨片が飛んだというような骨折だと、3か月の休養で235万円の見舞金が出る。3か月休むので、1か月の維持費が60万円として180万円。3か月といっても、なんやかやで4か月かかるとみて、240万円の維持費がかかります。でも11号なら休んでいる間分は見舞金が出るので、まあ良かったということになる。だけどこれがトレセンではなくて、放牧に出た先の育成場で故障してしまうと見舞金が出ないので、丸々泣かなければならない。そう考えると11号見舞金はありがたいと思いますね」

 莫大な経費をかけて、競走馬を維持している馬主への補償が手厚すぎると批判する声も時々耳にする。考え方は人それぞれであり、今回示した競走馬運営にかかる経費や見舞金の額など実際の数字を見て、馬主の実情についてを各自で判断をしていただければ幸いだ。


そして訪れる、現役引退


 競走馬を所有していると、いつかは引退を決断する時が来る。その基準は当然馬主によって違うだろうが、塩澤さんはどこで線引きをするのだろうか。

 「故障した場合は、まだ可能性があるのなら、かかるお金云々よりも走れるまで待つ。1年でも待ちますよ。1年後に戻って来られるでしょうと言われて待ったけど、戻って来れなくて引退させた馬もいるけどね。牝馬やったら6歳の春に繁殖入りさせることを考えるので、5歳の終わりか6歳の初めやわ。人に無償で差し上げる形を取ってでも、繁殖先は探します。最近、馬主仲間の村瀬オーナー所有のシホノコプントという馬をどうしようということになって、生産牧場の方に相談して、牧場探してもらって行き先が決まりました」

 これまで牝馬はすべて繁殖に上げている。だが牡馬の場合はまた基準が違ってくる。

 「牡馬は怪我をしたり、成績が頭打ちになった時に、引退させて乗馬クラブに引き取ってもらうという感じですね。オトコギマサムネという馬は7歳まで使っていて、障害に転向させようと思ったら、脚を怪我してあかんようになって乗馬にもらってもらいました。はじめはノーザンファームしがらきで2年ほど若い子の練習用の乗馬として働いて、今は知り合いの乗馬クラブで会員さんを乗せています。地方の時のように持っている馬がたくさんいるわけではないし、中央にいる馬やから何とかしているというのもありますね。僕は譲渡先を探していますけど、ツテがないと乗馬にと思っても大変やと思います。いかに幅広く人と付き合っているかによるかもしれません。ただ騙す人もいて、酷い話もたくさん耳にします。自分の馬に関しては、責任を持って何とか行先を探しています」

 競走馬登録を抹消すると、繁殖、地方、研究など、その後の用途が記載されている。その中に乗馬という項目があるのだが、実際に引退後に本当の意味での乗馬になれる馬はひと握りとも言われている。故障で引退した場合は、経済的な面を考えても、その怪我を治すまで待ってくれる乗馬クラブはほとんどないだろう。また競走馬として走ってきたサラブレッドは、乗馬に向く馬が少ないとも言われている。よく聞くのは引退後の引き取り先からわりとすぐに畜産業者に渡るケースや、1度は乗馬としてトレーニングされたが、故障をしたり乗馬に向かないなどの理由で、畜産業者に流れることが頻繁にあるということだ。塩澤さんのように自分で責任を持って馬の行き先を探し、その後の状況も把握しているのはむしろ珍しいケースと言える。

繁殖入りした愛馬と塩澤さん一行(写真:本人提供)


一つ勝てば次がある


 塩澤さんの馬主としてのこだわりは、まずは所有馬が1勝することだそうだ。  「ヒットの先にホームランがあると考えているので、まずはヒットを打つ、つまり1つ勝つのが目標。1つ勝てば次がありますから。だから地方交流にはめっちゃ出走させますよ。1つも勝たないのに、僕はその先については言いません」  そして所有馬の引退後の行き先は、責任を持って探すというスタンスで馬主を続け、競馬に関わっている。最後に今回の取材を受けた理由について尋ねてみた。  「皆さんに競馬や馬主側の実情を知っていただいて、少しでも競馬に興味を持ってもらえたら、そして競馬ファンが1人でも増えたらという気持ちで受けました」


 

取材を終えて


 今回は馬主の立場からの、あまり語られてこなかった競走馬運営の実情を伺い、購買から維持までのコストや、現役引退の判断基準を語っていただいた。引退馬の責任を馬主に求める声が多くある中で、経済的な側面からも「なぜ馬は走り続けることが出来ないのか」を知ることができたのではないだろうか。そこには想像以上に過酷な競争社会があり、改めて競走馬は競馬という産業のもとに生きているのだと思い知らされた。



協力:塩澤 正樹

取材:片川 晴喜

文:佐々木 祥恵

構成・編集:平林 健一

著作:Creem Pan


 

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このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。

 


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