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「全頭生かせなければ意味がないのか?」引退馬協会代表理事・沼田恭子 3/3



馬は一頭ずつしか生かせない


 「馬は一頭ずつしか生かせない、そう思っているんですよ」  これが現状を踏まえての沼田さんの、そして引退馬協会の持論だ。  沼田さんはかつて「全頭救えないのだったら、(引退馬活動は)やらない方がいい」とあるイベント会場で言われたことがある。その人は所詮馬を生かすのは無理だと諦めの境地で、同じ意見の人は結構いるのではないかと感じたという。 「どの馬も生きる道が〝ある〟という未来を目指さなければらないと考えています。その未来に到達するために何をやればいいのかということを考えている、それが現在の状況だと思います」


(資料:日本馬事協会「馬関係資料」より、Creem Pan調べ)


 年間約7,000頭生産されるサラブレッドの全頭の引退後の道をつくる。これができれば理想ではあるが、受け皿を考えてもそれはかなり難しい。だが、諦めずにそれを目標として今できることをする。沼田さんや引退馬協会の原動力となっているのは、目標があるからこそのような気がした。

「引退馬協会の前身であるフォスターペアレントの会の時からそうなのですけど、決して競馬がなくなった方が良いという立場ではありません。むしろ一緒に良くなっていきたいという立場なんです。」

正にJRAが「引退競走馬に関する検討委員会」を立ち上げたところでもあり、それぞれの立場で引退馬について動きが出てきた。沼田さんがイグレット軽種馬フォスターペアレントの会を作った当時とは、引退馬を取り巻く状況はかなり良い方向に向かいつつある。だが解決しなければならない問題も山積している。

「引退馬に関わる者として、究極的にはやはり『全頭生かしたい』という理想は持ち続けています。そのためには生産頭数を減らすことも必要になってくるかもしれないですけど、それは引退馬を生かす立場側の意見であり、競馬産業には生産牧場、育成牧場をはじめ、さまざまな人が関わっています。私も夫の仕事について生産牧場や育成牧場にも関わりましたし、乗馬クラブも携わりました。だからそれぞれの人々の気持ちがある程度はわかるような気がするのです。ですから、私たちは目の前の一頭を生かし続けることに取り組んでいるわけです。でも願わくば、『一頭産ませてみたい』というような惰性で産ませることはやめていただきたいですね。」

沼田さんはドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる」の中で、「1頭の馬に対して熱い思いの人が1人はいないと馬は助からないんですよ」という言葉を発している。そのような1頭の馬に対する気持ちの強い人がそれぞれ行動することで、1頭ずつ馬たちは競走馬から次のステージへと進むことができるのだ。

「馬に寄り添っていくとこの馬を何とかしたいという気持ちというのは、どうしても出てきますよね。そこが大切だと思うんです。」

現段階では全頭救うことが不可能な引退馬の問題は、出口のないトンネルに入り込んだようなものかもしれない。

例えば競走馬から乗馬にリトレーニングする段階でも経済的な問題は起こる。前回の乗馬クラブを経営している増山大治郎さんの回でも語られたが、怪我をした馬は治療しなければならず、その間、お金は出ていく一方になる。だから怪我をしている馬は、乗馬になれずに屠畜に回る可能性が高いということになってしまう。

 「ウチでも再就職支援プログラムで、リトレーニングを希望した方から馬を受け入れていますが、ほぼ100%どこか痛いところ、治療しなければいけないところを抱えています。馬は6歳までは骨が成長過程にありますから、その間に酷使することにより痛みが出たり、骨が変形したりしてしまいます。そのため、今は、トレーニングに入る順番待ちをする間に引退馬協会の負担で健康診断を行い、待機中の馬主に対して、JRAの奨励金を利用して10万円までの医療費助成をして治療をしています。でもそういう馬たちは、今は通常最初からふるいにかかることもない、かかったとしてもすぐに調教を断念されてしまっているのです。せめて引退した後の数か月間は、馬が静養したり待機できる場所があって、そこから次のステージ向かえるシステムができれば良いのではないかと思います」

 と沼田さんは、セカンドキャリアと言われる乗馬への転用への課題への解決策にも言及した。

「それにはJRAや馬主さんがある程度負担するとか、馬券やセリの売り上げの一部を馬たちに還元する、そういうシステムを作ってもらえれば、乗馬や養老牧場など次のステージに関わる人々も楽になりますし、馬自身も怪我等をしっかり治してから次の馬生に進めれば、痛みもなく、怪我もしづらくなると思います。そこは引退馬活動を進める上で、とても大切なところだと考えます」

 引退馬の世界には、これまでごく一部の人々しか関わってこなかった。その個人の力、引退馬への思いも、もちろん必要だ。だが個人の力には限界がある。これからは馬業界全体の問題として、競馬主催者側や馬主、生産者、育成牧場、乗馬クラブなど、馬業界すべての業種が関わって知恵を出し合い、経済的な循環をさせていくことができれば、もっと引退馬の未来も明るいものになるのではないか。だがそれが実現したとしても、大事なのは馬それぞれの個性や状況を把握して、1頭1頭、丁寧にセカンドキャリア、サードキャリアに繋いでいくこと。これが現状突破の鍵になりそうだ。


新たな道をつくる


 馬のセカンドキャリアというと、種牡馬、繁殖牝馬、乗馬、この3つが一般的だ。だが怪我の影響で乗馬になれない馬、気性的に乗馬に向かない馬もいる。しかも日本の乗馬人口や馬を扱える人材不足を考えると、乗馬の需要もそれほど多くはないというのが現状だ。では乗馬以外に道はないのだろうか。  「乗馬になるのが馬の仕事のように思われていますけど、人を乗せなくても良い、馬を曳いて歩くという行為が人間にどういった効果があるのかというのを、筑波大学大学院の方と一緒にやり始めているんです」  引退馬協会と一緒に研究を進めている筑波大学大学院の渕上真帆さんによると、  「曳き馬のプログラムは大学生など大人でも、教育的効果がとても高いことがわかりました。この効果は、学校での教科書の教育ではなく、対象者がプログラムから「学び」や「気づき」を自ら得ることをさしています。ざっくり話しますと、曳き馬の中で、対象者の方は馬との時間を通じてコミュニケーションを学んだことと、それが対人関係との共通点があることを感じたことが結果として出ています。また気分がリフレッシュしたり、フレンドリーさが上昇したという結果も出ています」  とのことだ。つまり馬に乗らなくても、馬を曳いた人側に効果があらわれることになる。沼田さんもこの実験により、乗るだけではない馬の新たな道の可能性を感じているようだ。 「ただ乗馬の才能のある馬だけが生き残るというのではなく、大人しいというのも1つの能力ですから。例えば馬に乗ったことのない人でも、馬の世話はできるとか、曳いて歩くことができるとか、お手入れができるとかですね。自分の癒しにもなりますし、そのような人たちが増えていくのも大切なことかなと思います」


写真:引退馬協会と筑波大学大学院・渕上さんの研究の様子(提供:引退馬協会)

 

取材を終えて


 沼田さんの取材で特に印象に残ったのは「馬は1頭ずつしか生かせない」という言葉。 年間の生産頭数が7,000頭前後と言われている今、現状ではそのすべての命を繋げることは不可能だ。言うなれば「命の選別」を行い、馬を生かす思いのある人に選ばれた馬だけが引退馬として生きている…それが紛れもない現実だろう。 引退馬支援の黎明期から誰よりもその現実を受け止めて、地道に命を繋げてきた沼田さんの言葉に大きな勇気をもらった。引退馬支援のこれからについて、一人ひとりがそれぞれの立場から意思を持つべきだと考えさせられた。 協力:沼田恭子    認定NPO法人 引退馬協会 取材:片川 晴喜 文:佐々木 祥恵 構成・編集:平林 健一 著作:Creem Pan



 

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次回予告

 

 競走馬の一生を左右する重要な場面を知る様々な人に話を伺い、広い定義での「引退馬支援」ついての情報を連載するこの企画。  第6回は、株式会社TCC Japan代表取締役 山本高之さんにお話を伺いました。  テーマは「引退馬の価値とは」  サラブレッドは繋養するには大きな出費が伴う一方で、競走引退後は年齢を重ねるごとに利益を生むことが難しくなる。引退馬の余生を案ずる人は多いが、競馬産業から出た後のサラブレッドのキャリアは少ない。  そうした中、株式会社として引退馬支援事業を行うTCC Japan の山本代表に、「経済」と「命」の狭間に見る、引退馬の価値を訊く。


このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。

 


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