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安楽死処置の全貌|馬の獣医師が語る"安楽死" 2/5(社台ホースクリニック 鈴木吏)


※本記事は「馬の安楽死を含む医療」をテーマとしているため、一部センシティブな写真を掲載しております。ご了承の上お読みください。

引退馬は歳を重ねるほど、健康上のリスクも上がっていく。安楽死の処置を受けて生涯を終える馬も少なくない。

──ではそもそも、安楽死処置とはどのような方法で行われているのか。

日本屈指の馬の専門病院である「社台ホースクリニック」で、長きにわたり馬の命と向き合ってきた鈴木吏獣医師に、その手順や使用する薬品と、その効果などを伺っていく。


馬を診療する鈴木獣医師(本人提供)



安楽死に至るまで

安楽死処置には、いくつかの指定された方法が存在する。前章でも取り上げた『安楽死ガイドライン』には5つの手法があげられている(一部、国内の法律にはそぐわないものも含まれる)。では、実際に安楽死の処置をする際、社台ホースクリニックでは、どのような処置がされているのだろうか。

「安楽死の手順のはじめの方は、基本的に全身麻酔と変わりません。全身麻酔には1~4つのステージがあって、4に向かうにつれて"死"に近づいていきます」

手術する際の麻酔、いわゆる『外科麻酔深度』と呼ばれるものが"ステージ3"にあたる。筋肉が弛緩して反射がなくなる状態だ。ここから更に深いところへと意識レベルを下げていくのが、安楽死の一つの方法である。



「まず鎮静剤を打ちます。馬が「死」の概念を理解しているかは誰にも分かりませんが、臆病な動物なので、安楽死に限らず普段と違う環境におかれると緊張するし、怖い思いをしてしまいます。死ぬ間際までそんな精神的苦痛を与えたくありません」

これは鈴木獣医師の馬に対する配慮という面だけではなく、動物愛護法に則り環境省が定める『動物の殺処分方法に関する指針』の中でも述べられている。当該文書の冒頭では「生命の尊厳性を尊重し、苦痛を与えない方法に努める」ことが一般原則として提言されている。ここで言う苦痛とは痛覚刺激による痛み、中枢の興奮などによる苦悩、恐怖、不安、及び、うつ状態等の態様を指す。

「鎮静薬は、α2受容体作動薬と言われる種類の薬で、我々はデトミジンという薬を使います。これで馬を怖がらない状態にして落ち着かせます。続いて、まだ立っている馬にジアゼパムとケタミンという薬を投与して横に寝かせます。これらは全て血管に注射する薬です。針を何度も刺さないで済むように、血管にカテーテルを留置して行いますので、実際に刺す回数は1~2回で済みます」


全身麻酔薬投与の様子(本人提供)


ここまでは、社台ホースクリニックで普段行われる手術時の麻酔と同じである。手術される馬のほとんどは、この後に気管チューブが挿管され、吸入麻酔(ガス麻酔)によって麻酔の深さを一定に維持される。一方で、安楽死される馬ではさらに麻酔が深くされていくこととなる。


全身麻酔導入後、気管チューブを挿管する様子(本人提供)


安楽死処置の手順

左:術前準備で手術台に乗せられた様子

右:手術を終えて麻酔覚醒室へ移動する様子(本人提供)


「通常は、これらの薬だけで安楽死はできません。馬が倒れたあとに、麻酔を深くして呼吸と心臓を止めなければいけません。そのため、麻酔を深くするために、違う麻酔薬であるバルビツール酸系のチアミラールナトリウムという薬を投与します。これは呼吸中枢である延髄に効きやすい薬です。つづいて、硫酸マグネシウムという薬を高濃度で投与して、心臓をゆっくり止めることで、死に至ります」


このようにして安楽死処置が行われていく。ただ、バルビツール酸系の麻酔薬を用いて呼吸を止めずとも、麻酔下で硫酸マグネシウムを打てば心臓を止めることはできる。また、その方法が前出の『安楽死ガイドライン』にも記載されている。ではなぜ、社台ホースクリニックでは呼吸と心臓をそれぞれ別の薬で止めるのだろうか。

「安楽死処置では、しばしば呼吸と心臓は同時に止まってくれません。意識が完全になくなり、心臓がほぼ止まった状態でも、呼吸には呼吸の中枢があって、急に『ハァッ』っと息を吸うことがあります。それは無意識下の動きで、中枢が働いて呼吸を刺激していると考えています。ですが、『亡くなりました』と言われてお線香をあげている時に急に呼吸されたら、抵抗感を持たれる方もいらっしゃると思います。呼吸を止めて、心臓を止めて、最後にちゃんと確認をし、見られている方に心象的なショックを与えないように配慮しています」


安楽死処置を施された馬がどのように亡くなっていくのか、誰よりもよく知っている獣医師だからこその気配りがあった。


オペ室の様子(本人提供)


"死に目"に立ち会う意味

大切な人が亡くなる際、多くの人間が持つであろう「死に目に会いたい」という想い。

これは馬の安楽死においても共通していることなのだろうか。

「乗馬や競走馬に限らず、多くの方が立ち合いを望まれることが多いように思います」

一見すると「死に目に会いたい」というのは看取る側の自己満足にも思える。

それは慣習としてなのか、別れの言葉などの感謝を伝えたいからなのか、はたまた一種の罪滅ぼしなのか──理由は人によって異なると思うが、"最期に立ち会う事"に何らかの意味を感じて、というものが大半ではなかろうか。

もちろん馬の安楽死に立ち会うことにも同じ背景がある。多くの馬の死に際を見届けた鈴木獣医師は、馬の最期から何を感じているのだろうか。

「個人的な感覚ですが、馬は安楽死されるときに周りを見ている気がします。『死』に対する概念が人間と異なるとはいえ、何かを感じて、自分の家族(仲間)を探しているように感じます」


覚醒室で横たわる馬の様子 ※手術成功時(本人提供)


馬が死を察しているのかどうかは分からないが、このような状況で見知った人間が視界から消えることに不安を感じるのは、考えてみれば当然のことだ。

「生体を死に導く方法はたくさんありますが、人道的にも法律的にもそれらの多くは受け入れがたいものです。ですから、一定のガイドラインが必要だし、実際に国内の獣医師も同様の方法で安楽死の処置を行っていると思います。馬を悼む気持ちはみな持っています。穏やかな最期で逝かせてあげるというのは、彼らへの敬意の表し方だと思っています」

死の間際くらいは安心して旅立ってもらうことも、馬への思いやりの一つということであろうか。

そして前章でも紹介した、獣医師なりの人への気配り。

鎮静から麻酔、心臓を止めるための硫酸マグネシウム投与まで、見ている人に心象的ショックを与えないように処置が進められる。

「心のストレスを極力感じさせない様に。自分よりも大きな動物が目の前で音を立てて倒れる。それだけでも一般の方には衝撃です。少なくとも馬に苦しみを与えず、かつ苦しんでいるようにすら見せないように。誰もが『安らかに眠ったな』と思えるように見せることを意識しています。それは彼ら(馬)に携わってきた人たちへの敬意です。そこは絶対に忘れてはいけないと思っています」

獣医師は、治療や処置などの医療行為をするだけが仕事ではない。

馬に寄り添い、同時に人へ寄り添うことも獣医師としての大切な心得なのだ。


手術が終了し、牧場へ帰って行く人馬(本人提供)


弔いの心

いくら腕利きの獣医師とは言え、たとえ利用可能なすべての選択肢を用いたとしても、どうしようにも救えない命はある。毎年多くの手術を手掛ける鈴木獣医師だが、もちろん分母が多ければ安楽死処置を行う数も多くなるだろう。数をこなすことで、安楽死に対して心が少しずつ慣れていくということはあるものなのだろうか。

「仕事で数多くの経験をしてきましたが、こればかりは決して心が慣れることはありません。やる内容としてはある程度、作業的・手技的で慣れていたとしても、心の中ではいつも『もっとやれることがなかったかな』とか『次に生かせることはないか』と反省をしています」

獣医師としての反省は常について回る。しかしそうして慣れないことで生まれる後悔や反省が、次の命を救う事へも繋がっていると言える。そして安楽死の処置が終わった後も、丁寧に馬を弔っているという。


開腹手術を無事に乗り越えたケイアイライジン号の往診(本人提供)


「安楽死した後は必ず手を合わせて、『本当にお疲れさん』『ゆっくり休んでね』と言ってお線香をあげています。多分、安楽死をしている獣医師のほとんどが同じだと思いますよ。『他にしてあげられることはなかったかな』『ごめんね』と心の中で思いながら手を合わせています。(安楽死で)気持ちいのいい獣医師なんて本当にいないんでね……」

それがたとえ"やむを得ない決断"であったとしても、必ず反省をし、丁寧に弔う。

命と向き合う仕事だからこそ、命への敬意を忘れることはない。

次回は、1章でも触れた「安楽死を提示する際の基準」について更に深堀りをしていく。

 
 

取材協力:

鈴木吏

社台ホースクリニック


取材・文:片川 晴喜

協力:緒方 きしん

監修:平林 健一

著作:Creem Pan


 


1 commentaire


HisMajesty Graustark
HisMajesty Graustark
26 sept. 2023

個人的な話になります。:


私は幼少期よりカナリアから馬まで色々な動物を飼ってきましたが、家族で飼う、自分ひとりで飼う、友達と共同で飼う、という違いはあっても全て個人ベース。つまり「伴侶動物」としての飼養経験しかありません。当然ながら終生飼養が原則で、最初から「飼えないものは飼わない」という主義です。


それでも、動物の事故や健康状態によっては安楽死を決断しなければならなかったことがあり、その都度ものすごい葛藤に苦しみました。

特に子供の頃は、老齢で立てなくなったペットを「眠らせる」と決めた親や獣医さんが凶悪殺人犯にしか見えず、それを止められなかった自分が共同正犯に思えて悲しさと悔しさと罪悪感がハンパなかった。一体あれをどうやって乗り越えたのか、そこだけ記憶が真っ白に飛んでいていまだに思い出せません。

他者の死の選択を代わりに引き受けることにはそれほどの重圧が伴い、鈴木先生がおっしゃるとおり、その重みに「慣れる」ことは決してないのです。


独立して両親と別居してから飼った動物たちは、安楽死のケース(15年間で2件)も含めて全て自宅で看取りました。犬猫の場合は四肢に順番に留置針を入れてもらって自宅で点滴を行い、脚の血管が使えなくなると皮下注射で補液を続けながら、最後の数ヶ月を一緒に過ごしました。

ドイツで共同飼育していた一頭の馬の場合は、獣医さんに無理をお願いして軽く鎮静剤を投与した状態で病院から農場に連れて帰り、馬が通いなれていた放牧地の草の寝床で最後の処置をしました。(故ナイスネイチャ号とほぼ同じ逝き方です)


人や他の動物への感染症等のリスクもあるため、常に適切なやり方かどうかはわかりません。獣医師の判断が必要です。

でも、住みなれた場所で仲間がそばにいると感じることが、少しでも愛馬の不安を和らげることにつながるなら、病院や他の業者さんに任せるのでなく「自宅で安楽死」というオプションがもっと普及してもいいのではないかと思います。獣医さんのご理解とご協力に期待したいです。


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