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カメラに向かって猛ダッシュ! 女番長キリシマノホシの意外な素顔


 

北海道新冠町にある、引退馬の牧場ノーザンレイク。

そこで毎日を過ごしているライター・佐々木祥恵が、

馬ときどき猫な日々を綴ります。

 


以前も書いたかもしれないが、引退馬の預託牧場ノーザンレイクを始めたのは、競走馬引退馬後に引き取ったキリシマノホシに青々した広い放牧地で過ごさせたいと思ったのがきっかけだった。茨城県で暮らしていた時にも何度か引退馬の預託を受けることを考えたのだが、何回計算しても採算が取れそうになくて、諦めていた。だがキリシマノホシには北海道の広々とした場所でのびのびとさせたくて、とうとう空き牧場を借り、引退馬の預託を始めることになったのだった。


茨城時代のキリシマノホシは馬場で川越とよく遊んでいた


茨城県にいた時は、競走馬の育成牧場の一部を借りて障害者乗馬などの活動していたヒポクリニック(現一般社団法人ヒポトピア)に間借りしていた。運動はウォーキングマシンで行い、あとは小さな放牧地か馬場に短時間放す以外は馬房で過ごしていた。ただ川越と私は仕事の合間を縫って、ほぼ毎日キリシマの世話をしていたので、キリシマと私たちの関係は、どんどん深まったように思う。


お手入れは川越との大切なコミュケーションの時間(茨城時代)


放牧地や馬場では一緒に遊ぶようにもなった。キリシマは怒りっぽく気難しい面もあるのだが、放牧地では砂浴びすると見せかけて、ワーッとこちらに向かって来たり、フェイントをかけるような茶目っ気も持ち合わせている。牧場の敷地を出て散歩もした。育成牧場の頭数が少ない時には、自由に厩舎内を歩き回らせたこともある。ウォーキングマシンでの運動を終えると、引き手なしでスタスタ自分の馬房に帰るようにもなった。茨城ではそんな様子をたくさん動画に収めた。


私たちをからかうかのように前脚を振り上げるキリシマ(茨城時代)


馬と人はこんなにも深い信頼関係を築けることをキリシマは教えてくれた。だが川越は人間とべったりではなく、馬の友達が必要だと考えるようになっていた。それもキリシマを北海道に移動させる理由の1つでもあった。


茨城時代は、放牧地や馬場に1頭で放たれることが苦手だった。少しでも私たちの姿が見えなくなると、鳴きながら探し回った。だから新冠に移動してきてからも、長時間放牧できるか心配だったし、人間ベッタリだったから放牧地で他の馬と一緒に過ごせるのかも不安だった。


私たちが一緒にいないと寂しげなキリシマ(茨城時代)


移動して最初は狭いパドックで芦毛ちゃんと過ごし、この時にキリシマが上位という上下関係が完全に出来上がった。パドックから放牧地に移ると、その広さが不安にさせるのか慣れるまではそばについていたりしていたが、徐々に人間がいなくても平気になり、放牧時間も長くなった。


そして今や放牧地のボスとして、他の3頭に睨みをきかせて恐怖政治を敷いており、川越はそんなキリシマをよく班長さんと呼んでいる。


「どきなさいよ!」と芦毛ちゃんのお尻をかじって追い払う班長さん


人間べったりだったあのキリシマがこんなに変わるとは...。放牧地で女王のごとく振る舞う姿を目にするたびに、感慨深い気持ちになると同時に、この土地に一緒に来て良かったと思うのだった。

(つづく)


 

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協力:ノーザンレイク・認定NPO法人 引退馬協会

文:佐々木 祥恵

編集:平林 健一

著作:Creem Pan

 


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