花の命は短くて…🥀🐎 ジェンティルドンナ号の献花に赴いた件について
- Loveuma.
- 18 時間前
- 読了時間: 6分

馬のような謎の四足歩行生物「UMA」の産みの親である
イラストレーター・鷹月ナトが、
日頃の制作活動の舞台裏や、馬への愛を書き連ねる連載です。

11月末、午後の京都競馬場。
今年の京都開催は仕事の関係上、マイルチャンピオンシップで終了し、来年にまたこればいいかと思っていたのだが、急遽予定を変更して今年最後の開催週の京都競馬場へ向かうことに。
2012年の牝馬三冠馬、ジェンティルドンナ号の献花の為だ。
まさか2度も今年京都に献花へ向かうことになるとは年始思ってもいなかった…
26日に衝撃のニュースが流れた。自身も仕事をしながら片手間にスマホを触っている最中、ヤフーのニュース記事で彼女の訃報を知る。一瞬頭の中で何が起きてるのかわからず頭の中では理解が追いついてなかった。
「あれ、つい最近繁殖引退したばっかでしかも20歳超えてなかったよな…?」
不意をつかされるような出来事に、自分もしばらく当日は仕事に手がつかず、堪えきれずで泣いてしまった。
三冠牝馬ということで競馬を習いたての時に知識としてインプットしていた彼女。彼女の現役当時は全く競馬に触れておらず、父であるディープインパクト号しか知らなかった。

最初はゴールドシップと同じ世代の三冠馬。というイメージでいたのだが、netkeibaが仁川駅前で配布していた缶バッジがジェンティルドンナであったので、そこから少し調べたりしていた。 しかし彼女のことを更に深く知るのはウマ娘でビジュアル実装されてから。大変オタク的な入り方で申し訳ないが、あそこで色々と沼に落ちた。ほんとにウマ娘は恐ろしく、色々な馬達の歴史に触れさせてくれる恐ろしい良い媒体である。
最初調べるうちはWikipediaの情報しか知らなかったわけなのだが、よくよく戦績を見ているとまぁなんとも面白い馬で。
三冠を取った後は牝馬だけど牝馬限定戦には一切出ず、牡馬、海外の馬達と凌ぎを削った。 中々お目にかかれない三冠馬対決としてオルフェーヴルと対決した12年ジャパンカップは特に有名で、JRA70周年の歴史の展示の際にも東京藝大の学生が描く作品として取り上げられていたと記憶している。

全てが順風満帆ではなく、4歳の時はゴールドシップと負けたり勝ったり、ジャパンカップ史上初の2連覇を成し遂げたり。5歳ではドバイを制覇した後、2度目の宝塚記念では凡走しつつも、漢らし過ぎる秋古馬三冠ローテで最後有馬でライバルたちと凌ぎを削り、有終の美を飾ったり。
割とかなり話としては栄光と苦難、そして大団円全てが揃った馬だなと感じていた。
馬を知るには馬だけでなく、当時関わっていた人たちの話を知るのも大変深みが増す。
当時ジェンティルドンナ号を見ていた石坂厩舎の奮闘も自分が調べられる範囲で色々探した。
ありがたいことに2012年頃だとnetkeibaやWeb記事が残っていた。またファンも多いおかげか友人から過去の映像資料のURLも教えていただいたりと大変調べやすかったのである。
(以前シンボリルドルフのことを調べようとした際、やはり昭和の時代な分、当時の週刊誌や本を見る必要があったため、ほんとに調べやすかったのだ…)
またつい最近では現在平田厩舎所属の日迫調教助手が当時の彼女を振り返る動画も上がっていたり。
彼女の関連すること全てを書こうとするとどうしても1つの記事だけではまっっっっっったく足りないので割愛するが、なんとも魅力的な競争馬生を進んでいた馬だった。
繁殖牝馬となると、どうしても検疫上一般の人が出会う機会はほぼ無い。
繁殖引退した後に、養老牧場に行ったり展示する機会があれば会えることもあるが、それが出来るのは一握り。現役時を見れてない分そこがどうしてももどかしいところであった。もう10年早く競馬を知っていれば…なんてウマ娘をしながら何度思っただろうか。
ただ調べているとノーザンホースパークの馬見の丘から見えたという情報も。
たったそれだけの情報であったのだが、ものは試しで24年の6月に友人と共に放牧地をくまなく見ていた。
もちろん馬見の丘から見える範囲より更に奥にも放牧地はあるため、そんな運よく手前側に来ているものかどうか…と思っていたのだが、噂通りなんといた。


24年に生まれたエピファネイア産駒の子供と一緒に歩いていた。産駒の写真が一切公式から上がってなかったため、最初「ジェンティルドンナ……かもしれない馬…」みたいな感じだったが、流星や後ろ足の靴下と顔つきを見て「恐らくジェンティルドンナ」に変わった。
今年のサンデーレーシングの募集馬の展示の写真を上げてらっしゃる方がいて羽のような流星が一致したことで「あっちゃんとジェンティルドンナだった…」に。ただ自分の中ではこれが最初で最後に生で見た姿となった。
今年の種付けの情報が無く、24年の子以降2年連続繁殖の情報が更新が無かったため少し不安に感じていた。
夏に繁殖引退の報が入り、他の同世代、上の世代よりも早い引退も合わさって受胎率が下がってしまっていたのかなぁとか、リバティアイランド号の件があったのもあって、G1馬も輩出しているし早めの引退なのだろうかとか、部外者らしいなんの根拠もない予想をしたりしていたが…
今年に入ってから体調を崩しがちで最後は立てなくなってしまったということで、馬の管理の難しさというのを改めて痛感してしまった。牧場側も立て直すのに大変尽力されていただろう。
たらればであるが、いずれは20歳を超えて落ち着いてきたら、祖母のウインドインハーヘアのようにパーク内でポニーたちと放牧とかないものかとかもなんとなく願っていたこともあったのだが…
花の命は短くて、とは言うが、現役時は熱発はありつつも、彼女の丈夫な体と陣営の努力によって怪我なく強いまま引退した貴婦人の最後の終わり方としては、あまりにも早く、辛く悲しかった。

京都競馬場の献花台につく。
献花台の大きい写真を見て正直、ある程度飲み込んではいるとしても現実を突きつけられる感じで、なんとなく自分が現実を受け入れたくないんだなと察する。
京都競馬場に行く前に取材でツルマルツヨシの会の代表である中西さんとお話する機会があった。
その際「年老いていく馬達を見れることって、いろんな意見あると思うけど、とても恵まれていると思うんです」と仰った。これから献花に行く自分からしてなんとぶっ刺さる言葉なんだろうかと。京都に向かう間も心に響き続けていた。
記帳をしながら改めてファンを感動させ続けた彼女に感謝と別れを告げた。
今年は2頭も三冠馬が亡くなることになってしまうとは誰が思ったか。誰も思うはずなんてないし、望んでいなかったはずだろう。だが訪れる時は早かれ遅かれ来てしまう。
今年ももう残り僅か、どうか最後の有馬までどの馬も無事に走りぬけれるよう、彼女が空から見守ってくれてるといいな。
文:鷹月 ナト
編集:椎葉 権成
著作:Creem Pan






















