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育成牧場の場長から僧侶に転身!取り組むは「馬への恩返し」 by じろー(ウマのお坊さん)さん


「withuma.」vol.73 じろー(ウマのお坊さん)さん


Profile

お名前:じろー(ウマのお坊さん)さん

年齢:54歳

居住地:さいたま市

 

第73回は、ホースマンからお坊さんに転身し、ホースセラピーを主軸としたボランティア活動にも注力されている、じろー(ウマのお坊さん)さんです。

いったいどのような「withuma.」を送っていらっしゃるのでしょうか?

 


じろー(ウマのお坊さん)さんの「withuma.」


写真:本人提供


以前は競走馬に乗る仕事をしていたが、今は「ヒポトピア(ホースセラピー施設)」、「武蔵逍遥乗馬会【小雪組】(引退馬支援)」、「上岡馬頭観音【妙安寺】(馬全般ご加護)」で活動している。


「小雪組」で養生している、若くして乗馬を引退した道産子・小雪(本人提供)


ずっと馬にお世話になってきたので、僧侶になったのをきっかけに、何らかの形で恩返し出来ればと。


活動においては、理念に共感できる方たちを、自分の培ったスキルを活かしつつ、出しゃばらずに支えていきたい。


そうして皆さんを支えつつ、個人的な目標としては、馬の魅力をもっと力強く発信できるようになりたいとも考えており、具体的な目標としては「書籍の出版」を目指している。

 

じろーさんは、以前は競走馬育成牧場の場長も務められていた生粋のホースマン。

現在は僧侶として亡くなった馬を供養するほか、ホースセラピーを主軸に、人と馬に接するボランティア活動をしておられるそうです。


茨城県にあるヒポトピアは、ホースセラピーや、児童発達支援・放課後等デイサービスを提供し、児童・障がい者に関わらず全ての人が利用可能な乗馬クラブで、『Loveuma.』を運営する株式会社Creem Panが製作したショートドキュメンタリー『バンダムテスコが見るもの』の舞台にもなっている場所ですね。


Short Documentary『バンダムテスコが見るもの』


 

じろー(ウマのお坊さん)さんの「Loveuma.」


馬の魅力って何ですか?と正面突破すぎる質問は、正直困るし、答えあぐねる。

瞳?毛艶?筋肉?乗った感触?鼻プニプニ?むしろ匂い?


高級ホテルのディナーバイキングで、いきなり「どれか一品にだけにしてくれ」と言われ、トレーを手に固まり「グヌヌヌ」となっているような。


とか言ってると、ただの面倒臭いオッサン丸出しになってしまうので「あえて」一点あげるとすると、やはり「慈愛」だろうか。


そう思うようになったきっかけは、わたしがお手伝いさせてもらっているホースセラピー施設、ヒポトピアでの出来事だ。


競走馬に長く携わっていたということもあって、その日は馬の扱い方のレクチャーを頼まれた。

相手は、馬にほとんど触れたことの無いスタッフだ。


テーマは「引き運動」。

引き手というロープ一本で馬を連れて歩く。

わたしは立ち位置、手の位置、足の運びなど一遍通りを解説した。


完璧な見本を見せた後、実際に引いてもらう。


そしたら勿論、見事なくらい、まるでみんなが出来ていなかった。

もし気の悪い競走馬であれば 10歩と進められないだろう。


けれども馬は、そのたどたどしい指示(らしきもの)に従っていた。

多少戸惑いつつも「こうしたいんですよね?」という感じで、一拍遅れて。


その姿を眺めていて、不意に「何故、馬は人間の言うことを聞くのだろう?」という疑問が湧いてきた。


その時の馬の名前は、プレストシンボリ。


プレストシンボリ(本人提供)


ヒポトピアにおいてセラピーホースの大エースだった馬だ(去年亡くなっている)。

重賞を勝っているようなアスリートで、30歳になっても筋肉は隆々だった。

もし、その気になれば、頭を一振りするだけで、人など吹き飛ばせるだろう。

ちょっと狙って後肢を振り抜けば、人の命すら簡単に奪えるはずだ。


そんな馬が「キャーちゃんと動いた―」と、傍でピョンピョン跳ねて喜んでいるような人の想いを汲んで、期待通りに動くのだ。


「ああ、そうか」


その姿を見て、私は気がついた。


「馬が、こちらに寄り添ってくれているのだ」と。


同時に、

「あなたは群れのリーダーです。リーダーは群れが進む方向とスピードを決定します」


なんて、鼻の穴を膨らませて語っていた自分が、とても恥ずかしくもなった。


言っていることは間違ってはいない。


ただ、「そもそも」馬が寄り添ってくれている、という大前提にわたし自身が気がついていなかったのだ。

今の今まで。


そんなわたしが偉そうに馬を語っていたことが、どうしようもなく申し訳なかった。


馬という生き物は慈愛に満ちている。


わたし達は乗らせて「もらっている」、指示を出させて「もらっている」、リーダーをやらせて「もらっている」。


そうした気持ちを忘れてはいけない。


そんな出来事だった。



ちなみに、お気に入りの馬として名前を挙げるならば「ナカヤマフェスタ」だろうか。


じろーさんとナカヤマフェスタ(本人提供)


育成時代に携わった馬だったが、文字通り"うなされるくらい”苦労した。

そういう意味では…お気に入りではないかも?


兎にも角にも、印象に残っている1頭であることは間違いない。


まさに、人知を超える存在だった。

 

「慈愛」という視点、私も今の今まで持ったことがありませんでした。

じろーさんのエピソードを知って、私が過去に乗ったり曳いたりした馬たちも、「気持ちよく指示をさせてもらっていた」のではないかと考えると、思い通りに動かして鼻を高くしていた自分が少し滑稽に思えてきます。

そして、馬の大いなる魅力を今振り返って感じています。


人の気持ちに寄り添って行動してくれるプレストシンボリ。

児童・障がい者の方を乗せて、コミュニケーションを学ばせてくれるセラピーホースの、まさに大エースとしての器量を感じました。


また、ナカヤマフェスタにも携わっておられたとのことで、宝塚記念を優勝し、凱旋門賞でも2着となった名馬が誕生した裏には、じろーさんの涙ぐましい努力があったのですね。

現在Loveuma.で連載中の『AERUで会える!』では、功労馬となったナカヤマフェスタの日々を発信していますので、ご興味のある方は是非チェックしてみてください!


『AERUで会える!』

 

引退馬問題について

写真:本人提供


ひとことで言えば、「馬の魅力をもっと配信する」こと。


多くの人に触れてみたい、乗ってみたい、もっと知りたいと思ってもらうこと。

そうやって引退馬の受け皿を広げていくこと。


引退馬問題を考えるにあたって、大前提としてあるのは日本の馬社会を支えているのは競馬だ、ということだ。

馬のあらゆるステージでの、経済的な支援問題を含めてもそうなる。


そして強い競走馬の存在が、競馬そのものの人気に直結している。


これは淘汰の上に成り立っている社会だ。

だから、生産を減らす(馬を減らす)ということは競馬というコンテンツの魅力を失っていくことになる。


だから馬の数を減らすというのではなく、その受け皿を広げていくことが大切だ。


そのうえで乗馬や繁殖の引退馬はどうするのか。

人を乗せられなくなった馬はどうするのか。


善意のみを頼りにして、馬にのんびりと余生を過ごしてもらう事業スタイルでは、持続可能のモデルとはなり得ないだろう。


最後まで色々な仕事(触れ合い、モデル、キャラクター商品化など)をしてもらう為にも、とにかく多くの人に興味を持ってもらえるように、工夫して発信し続けていくことはとても大事なことだ。


あとは興味を持ってもらったうえでの「正しい認識」も必要だ。

馬の社会では様々なステージでの引退馬がいる。

それは競馬だったり、乗馬だったり、繁殖だったり。


そして私が強く否定したいのは、【そのステージからこぼれた落ちた馬の可哀想な行き先が「屠畜」】という認識だ。


そうではない。

屠畜というステージがあるのだ。

他のステージと同列、とまではいかないまでも、「食用となる」ことを否定してはいけない。


すべての馬がのんびり余生を過ごすのが理想で、そこを究極として目指すというのは分かる。


だからといって「のんびり余生を過ごす」枠に入らなかった馬を「救えなかった」と定義して、「ゴメンナサイ」と思ってしまうのは、屠畜に携わる業者の方へは勿論、これから自分の命をもって、社会に役立とうとしてくれている馬に対して、あまりにも失礼だ。


これを「殺処分」なんて言い方をするのも同様だ。

全く違うものだし、(先と同じ理由で)馬の命に対する冒涜とも言える。

寄付を集めるためのセンセーショナルな物言いをするために、安易に使ってはいけない言葉だ。


わたしは「ありがとうございます」こそが正しいと信じる。

馬の命に対して、しっかりと感謝の意を表すべきなのだと。

そもそも自分達のエゴで馬を生産して、最後はその命を頂く、ということだ(馬肉を口にする、しないの話ではない)。


感謝せずして、それ以外に何があるというのか。


馬の業界にいる人は、ここまでしっかりと覚悟して、今この時を、それぞれのステージで生きている馬に対して、敬意をもって接することが大切なのだ。


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